Story
南仏プロヴァンスの古都アヴィニヨンから約25km。ガール川にかかる全長275m、高さ49mの巨大な橋ポン・デュ・ガールは、およそ2000年前、ローマ人によって作られ、6世紀頃まで実際に使用されていた水道橋です。50kmも離れた水源地のユゼスから、はるばる当時ネマウススと呼ばれたニームの町まで水を引いていた水路の一部でした。
ローマの主要都市であったネマウススでは人口が増加、水不足を解消するため紀元前19年頃、アウグストゥス帝の腹心アグリッパの命により1,000人を動員し、わずか5年で水道橋を完成させたといわれています。橋は均等に切りそろえた石を組んだ3層のアーチ構造で、プレハブ工法のさきがけという学者も。切石のサイズは下層から水路のある最上層へいくほど小さくして強度を保ち(ちなみに下層の切石は1つが6トンもあります)、水路には清掃のための水抜きの穴も設けられていました。水源地からの高低差は17mほどしかなく、1kmあたり34cmという微妙な勾配を水がスムーズに流れるよう設計され、1日に約2万㎥もの水を供給していました。
ローマ人は各地にローマのような都市を建設したことで知られますが、都市建設ではとりわけ水利に比重がおかれました。それは浴場や噴水など、水をふんだんに使うことが贅沢であり美徳とされていたからといわれます。悠久の時を超えて残る堅牢で美しい姿の水道橋は、ローマ人の英知の結晶であり、文化の象徴でもあります。
ローマの主要都市であったネマウススでは人口が増加、水不足を解消するため紀元前19年頃、アウグストゥス帝の腹心アグリッパの命により1,000人を動員し、わずか5年で水道橋を完成させたといわれています。橋は均等に切りそろえた石を組んだ3層のアーチ構造で、プレハブ工法のさきがけという学者も。切石のサイズは下層から水路のある最上層へいくほど小さくして強度を保ち(ちなみに下層の切石は1つが6トンもあります)、水路には清掃のための水抜きの穴も設けられていました。水源地からの高低差は17mほどしかなく、1kmあたり34cmという微妙な勾配を水がスムーズに流れるよう設計され、1日に約2万㎥もの水を供給していました。
ローマ人は各地にローマのような都市を建設したことで知られますが、都市建設ではとりわけ水利に比重がおかれました。それは浴場や噴水など、水をふんだんに使うことが贅沢であり美徳とされていたからといわれます。悠久の時を超えて残る堅牢で美しい姿の水道橋は、ローマ人の英知の結晶であり、文化の象徴でもあります。