Story
岐阜県白川村萩町の白川郷、更に北へ奥入った富山県の五箇山平村相倉と上平村菅沼の三集落に残る合掌造りの民家。日本人が「ふるさと」に対して抱く共通のイメージがそこにはあります。合掌造りとは、日本有数の豪雪地帯であるこの地方独特の建築様式で、屋根がまるで拝むように山形をしていることから付いた名称です。屋根の勾配が45〜60度と非常に急なのは、積雪が多く雪質が重いという気象条件を考慮してのこと。また、屋根が東西に向いているのは、日照によって茅材を乾燥させ腐らせないようにするための工夫といわれています。茅葺きの大きな屋根の下は多層構造になっており、1階を居住空間、2階以上を作業空間として利用していました。
水田耕作の困難なこの地において、重要な現金収入の手段であったのが、養蚕や火薬の原料となる煙硝作り。合掌造りの大きな小屋組は、空間を有効活用した職住一体型の機能的住宅であり、労働力である大家族を収容するうえで非常に理にかなった住宅といえます。ドイツの建築家ブルーノ・タウトは、『合掌造りの家屋は、その構造が合理的かつ論理的であるという点において、極めて特異な存在である』と絶賛。白川郷と五箇山は、彼の著書『日本美の再発見』によって、広く世界に知られるようになりました。
家主にとって一生に一度の大仕事である屋根の葺き替えは、結(ゆい)と呼ばれる互助組織によって行われる慣習が残っている点もユニーク。厳寒の1〜2月には、集落全体がライトアップされ、深閑とした一面の銀世界が幻想的な雰囲気に包まれます。
水田耕作の困難なこの地において、重要な現金収入の手段であったのが、養蚕や火薬の原料となる煙硝作り。合掌造りの大きな小屋組は、空間を有効活用した職住一体型の機能的住宅であり、労働力である大家族を収容するうえで非常に理にかなった住宅といえます。ドイツの建築家ブルーノ・タウトは、『合掌造りの家屋は、その構造が合理的かつ論理的であるという点において、極めて特異な存在である』と絶賛。白川郷と五箇山は、彼の著書『日本美の再発見』によって、広く世界に知られるようになりました。
家主にとって一生に一度の大仕事である屋根の葺き替えは、結(ゆい)と呼ばれる互助組織によって行われる慣習が残っている点もユニーク。厳寒の1〜2月には、集落全体がライトアップされ、深閑とした一面の銀世界が幻想的な雰囲気に包まれます。