Story
チュニジアの首都チュニスから南西へ約100㎞。ドゥッガは北アフリカのローマ都市遺跡の中でも特に保存状態がよいといわれ、標高600mの丘の上に大規模な古代都市の遺構が展開。ローマ時代以前と、その後のビザンチン時代の歴史の痕跡も残されています。
ドゥッガとは「牧場」を意味し、紀元前3世紀にはチュニジア西部に興ったベルベル人の王国ヌミディアの要塞都市でした。当時は「トゥッガ」と呼ばれ、カルタゴの影響を受けながらも繁栄。この時代の遺構にカルタゴの将軍ハンニバルに対峙したヌミディアの指導者アテバンの廟があり、高さ21mの石塔がローマの都市遺跡の中にひっそりと建っています。紀元前46年ローマの支配下に入ると、2~4世紀にはローマの経済を支える農産物の集積地として発展しますが、ゲルマン族の侵入によって衰退。その後はビザンチン帝国の要塞都市に。やがて7世紀のイスラム教徒の侵攻により町は破壊されてしまいます。遺跡はフォルム(公共広場)を中心に古代ローマの神々を祀る神殿、凱旋門、闘技場、浴場、貯水場などが配され、ビザンチン時代にキリスト教会に変えられた神殿跡も見られます。
観客席が19段ある古代劇場の最上段から遺跡を俯瞰すれば、3世紀には5千とも1万ともいわれる人々が暮らしていた賑わいも今は昔。周囲に広がる小麦畑やオリーブ畑を渡る風が、穀倉地帯の中核都市として繁栄を極めたローマ時代の残り香を運んでくるようです。
ドゥッガとは「牧場」を意味し、紀元前3世紀にはチュニジア西部に興ったベルベル人の王国ヌミディアの要塞都市でした。当時は「トゥッガ」と呼ばれ、カルタゴの影響を受けながらも繁栄。この時代の遺構にカルタゴの将軍ハンニバルに対峙したヌミディアの指導者アテバンの廟があり、高さ21mの石塔がローマの都市遺跡の中にひっそりと建っています。紀元前46年ローマの支配下に入ると、2~4世紀にはローマの経済を支える農産物の集積地として発展しますが、ゲルマン族の侵入によって衰退。その後はビザンチン帝国の要塞都市に。やがて7世紀のイスラム教徒の侵攻により町は破壊されてしまいます。遺跡はフォルム(公共広場)を中心に古代ローマの神々を祀る神殿、凱旋門、闘技場、浴場、貯水場などが配され、ビザンチン時代にキリスト教会に変えられた神殿跡も見られます。
観客席が19段ある古代劇場の最上段から遺跡を俯瞰すれば、3世紀には5千とも1万ともいわれる人々が暮らしていた賑わいも今は昔。周囲に広がる小麦畑やオリーブ畑を渡る風が、穀倉地帯の中核都市として繁栄を極めたローマ時代の残り香を運んでくるようです。