Story
チュニジアの首都チュニスから南へ約140km。ビーチリゾートとして知られ、「サヘルの真珠」とも称されるチュニジア第3の都市スース。かつてローマ帝国と地中海の覇を争ったカルタゴ同様、フェニキア人が紀元前9世紀に建設した古い歴史を持つ港町で、イスラムのアグラブ朝によって形成されたメディナ(旧市街)が世界遺産に登録され、建設当時の面影を今に伝えています。
ポエニ戦争でローマに敗れ、その痕跡さえほとんど消え去ったカルタゴに対し、同じフェニキア人の植民市ながらスースは、ローマと同盟を結んでいたため破壊を免れます。しかしその後は、ビザンチン帝国の支配下になり、7世紀には進出してきたイスラム教徒に征服され、その防衛拠点となりました。港に臨むメディナは、アグラブ朝が9世紀に築いた高さ約8mの城壁に囲まれ、入口にあるグランド・モスクも要塞さながらの堅牢な石造り。向かいにあるリバトは、要塞と礼拝の場を兼ねたスース旧市街最古の建築物です。イスラム教徒たちの住まいでもあった2階回廊の壁には銃眼が設えられ、高さ約38mの監視塔では海からの外敵に睨みをきかせていました。
リバトの最上部である監視塔に登れば、9世紀から今に続く迷路のような町並みが一望できます。その下には紀元前9世紀のフェニキア人の町が眠っており、カルタゴ、ローマ、ビザンチンと、この町を治めた覇者の歴史が走馬灯のように駆け抜けていくようです。
ポエニ戦争でローマに敗れ、その痕跡さえほとんど消え去ったカルタゴに対し、同じフェニキア人の植民市ながらスースは、ローマと同盟を結んでいたため破壊を免れます。しかしその後は、ビザンチン帝国の支配下になり、7世紀には進出してきたイスラム教徒に征服され、その防衛拠点となりました。港に臨むメディナは、アグラブ朝が9世紀に築いた高さ約8mの城壁に囲まれ、入口にあるグランド・モスクも要塞さながらの堅牢な石造り。向かいにあるリバトは、要塞と礼拝の場を兼ねたスース旧市街最古の建築物です。イスラム教徒たちの住まいでもあった2階回廊の壁には銃眼が設えられ、高さ約38mの監視塔では海からの外敵に睨みをきかせていました。
リバトの最上部である監視塔に登れば、9世紀から今に続く迷路のような町並みが一望できます。その下には紀元前9世紀のフェニキア人の町が眠っており、カルタゴ、ローマ、ビザンチンと、この町を治めた覇者の歴史が走馬灯のように駆け抜けていくようです。