Story
タイ北部の古都スコタイ(「幸福の夜明け」の意味)には、1238年に始まるタイ族最初の独立王朝の都がありました。とりわけ第3代目ラームカムヘーン王の時代に国力が増大、タイ文字が発明され、スリランカから仏教を、中国から陶磁器の技術を取り入れるなど、タイはまさに文明の夜明けを迎えたのでした。その中心であったスコタイ遺跡と、周辺のシーサッチャナーライ遺跡、カンペーンペット遺跡が歴史公園として整備され、世界遺産に登録されています。
スコタイ遺跡は東西約1.8km、南北約1.6kmの城壁が三重に張り巡らされ、中央に王室寺院と想定されるワット・マハタートがあります。約200m四方の境内に200に及ぶ仏塔が林立し、2列に並ぶ柱の奥に安置された坐仏像は、往時と変わることなく穏やかな微笑みを湛えています。ワット・マハタートの東隣にある王宮跡とされる遺構からは、玉座と最古のタイ文字が記された石碑が発見されました。「水に魚棲み、田に稲穂実る」とスコタイ王朝の豊かさを称えるその碑文は、ラームカムヘーン王が刻ませたといわれています。
ラームカムヘーン王の没後、スコタイ王朝の繁栄は長くは続かず、1351年に興ったアユタヤ王朝の属国となり、その歴史に幕を閉じることに。しかし、城壁の北西に位置するワット・シー・チュムの高さ約15mのアチャナ仏など多くの寺院や御仏たちが、スコタイ王朝が築き上げた仏教文化が今も脈々と生き続けていることを感じさせます。
スコタイ遺跡は東西約1.8km、南北約1.6kmの城壁が三重に張り巡らされ、中央に王室寺院と想定されるワット・マハタートがあります。約200m四方の境内に200に及ぶ仏塔が林立し、2列に並ぶ柱の奥に安置された坐仏像は、往時と変わることなく穏やかな微笑みを湛えています。ワット・マハタートの東隣にある王宮跡とされる遺構からは、玉座と最古のタイ文字が記された石碑が発見されました。「水に魚棲み、田に稲穂実る」とスコタイ王朝の豊かさを称えるその碑文は、ラームカムヘーン王が刻ませたといわれています。
ラームカムヘーン王の没後、スコタイ王朝の繁栄は長くは続かず、1351年に興ったアユタヤ王朝の属国となり、その歴史に幕を閉じることに。しかし、城壁の北西に位置するワット・シー・チュムの高さ約15mのアチャナ仏など多くの寺院や御仏たちが、スコタイ王朝が築き上げた仏教文化が今も脈々と生き続けていることを感じさせます。