Story
ポーランド南部の地方都市「オシフィエンチム」と隣村の「ブジェジンカ」。のどかな田園風景が広がるこの地に、人類の歴史で消し去ることのできない傷痕が残されています。ドイツ語名にすると「アウシュヴィッツ」「ビルケナウ」。ここには第二次世界大戦中にナチス・ドイツが造った、あの悪名高き強制収容所がありました。
アウシュヴィッツ強制収容所は、ポーランドを占領したナチス・ドイツが、政治犯や捕虜などを労働力として使うために建設されました。やがてゲルマン民族を優越とするヒトラー率いるナチス・ドイツにより、他民族の排斥がエスカレートしていきました。ビルケナウに第二収容所が造られ、ユダヤ人をはじめ多くの人々が理不尽にも命を落としていきました。一方的に劣等民族のレッテルを貼られた人々は強制収容所に送られ、労働力にならないと判断された者はガス室で虐殺され、焼却炉で灰にされました。ガス室送りを免れた人々も劣悪な環境と苛酷な強制労働により斃れ、あるいはむごい仕打ちにより命を奪われ、100万人を超える人々が犠牲になったといわれています。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の跡地は、二度と繰り返してはならない人類の「負の遺産」として1979年に世界遺産に登録され、博物館として公開されています。収容棟に並ぶ犠牲者の顔写真や遺品を目の当たりにすると、やり場のない憤りと悲しみを禁じえません。平和の大切さを改めて考えさせられる世界遺産です。
アウシュヴィッツ強制収容所は、ポーランドを占領したナチス・ドイツが、政治犯や捕虜などを労働力として使うために建設されました。やがてゲルマン民族を優越とするヒトラー率いるナチス・ドイツにより、他民族の排斥がエスカレートしていきました。ビルケナウに第二収容所が造られ、ユダヤ人をはじめ多くの人々が理不尽にも命を落としていきました。一方的に劣等民族のレッテルを貼られた人々は強制収容所に送られ、労働力にならないと判断された者はガス室で虐殺され、焼却炉で灰にされました。ガス室送りを免れた人々も劣悪な環境と苛酷な強制労働により斃れ、あるいはむごい仕打ちにより命を奪われ、100万人を超える人々が犠牲になったといわれています。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の跡地は、二度と繰り返してはならない人類の「負の遺産」として1979年に世界遺産に登録され、博物館として公開されています。収容棟に並ぶ犠牲者の顔写真や遺品を目の当たりにすると、やり場のない憤りと悲しみを禁じえません。平和の大切さを改めて考えさせられる世界遺産です。