Story
カルパチア山脈に囲まれたルーマニア中部のトランシルヴァニア地方には、ドイツ、ハンガリー系入植者の拓いた村が点在しています。オスマン帝国が勢力を拡大していた14~17世紀、彼らはその脅威に対抗するため、要塞の機能を備えた教会を中心に集落をつくりました。最盛期の1600年頃に600を数えた要塞教会は現在300余が残り、なかでも保存状態の良い7か所が世界遺産に登録されています。
その代表ともいえるのが、中世の城塞都市シギショアラの南西約30kmにあるビエルタン村です。この地は15~16世紀にはハンガリー王の支配地で、ドイツ系のザクセン人が入植し、堅固な共同体を形成しました。そしてオスマン帝国の侵攻から住民や財産を守るため、丘の上に建つ教会を要塞化し、堅牢な3重の防壁で守りを固めました。さらに教会の近くには穀物倉庫を建て、籠城戦にも耐えられる備えでした。4つの見張り塔をもつゴシック様式の教会内部は、色鮮やかな装飾板で飾られた中央祭壇、聖具室の扉にしつらえられた複雑で精巧な錠前など、往時の高度な技術を偲ばせる造作です。
幸いにもビエルタン村へのオスマン帝国の攻撃はなく、要塞教会と中世の家並みは現在まで姿をとどめることに。しかし1989年の革命をきっかけに、ドイツ系住民の多くは本国ドイツに移住するため村を去っていきました。要塞教会から村の風景を眺めると、赤い屋根の家々が静寂の中に佇み、波乱の歴史を語りかけてくるようです。
その代表ともいえるのが、中世の城塞都市シギショアラの南西約30kmにあるビエルタン村です。この地は15~16世紀にはハンガリー王の支配地で、ドイツ系のザクセン人が入植し、堅固な共同体を形成しました。そしてオスマン帝国の侵攻から住民や財産を守るため、丘の上に建つ教会を要塞化し、堅牢な3重の防壁で守りを固めました。さらに教会の近くには穀物倉庫を建て、籠城戦にも耐えられる備えでした。4つの見張り塔をもつゴシック様式の教会内部は、色鮮やかな装飾板で飾られた中央祭壇、聖具室の扉にしつらえられた複雑で精巧な錠前など、往時の高度な技術を偲ばせる造作です。
幸いにもビエルタン村へのオスマン帝国の攻撃はなく、要塞教会と中世の家並みは現在まで姿をとどめることに。しかし1989年の革命をきっかけに、ドイツ系住民の多くは本国ドイツに移住するため村を去っていきました。要塞教会から村の風景を眺めると、赤い屋根の家々が静寂の中に佇み、波乱の歴史を語りかけてくるようです。