Story
クロアチア南部の半島にあるスプリットは、首都ザグレブに次ぐクロアチア第2の都市。このアドリア海に面した港町の旧市街は、古代ローマのディオクレティアヌス帝が建造した宮殿と中世以降の建造物が混在し、今も人々が生活を営む稀有な世界遺産の町です。
3世紀末、内戦の絶えなかったローマ帝国を安定に導いたディオクレティアヌス帝は、20年の統治ののち305年に退位。生まれ故郷のサロナに近いスプリットに宮殿を建て移り住みます。高さ20m以上の強固な城壁で囲み、4つの門を設けた宮殿には、皇帝の居室、霊廟、3つの神殿などがありました。7世紀にスラブ人などの侵攻によりサロナが廃墟となると、逃れてきた住民が宮殿の石材を利用して新たな町を造り住み着き、スプリットは発展していきました。現在は市民の憩いの場となっている列柱で囲まれた広場、ドーム天井の前庭や、皇帝の胸像や机、ローマ時代の水道管などが展示された宮殿地下など、随所に往時を彷彿させる遺構が残されています。ちなみに13~14世紀には、ディオクレティアヌス帝の霊廟は大聖堂に、ユピテル神殿は洗礼堂に改造されました。キリスト教迫害を行ったと伝わるディオクレティアヌス帝は、どう思っていることでしょう。
海岸を埋め立てて造られた宮殿前のプロムナードには、レストランやカフェが並んでいます。そのオープンテラス席に流れる風は、古代ローマから幾時代を重ねてきた歴史の薫りを運んできます。
3世紀末、内戦の絶えなかったローマ帝国を安定に導いたディオクレティアヌス帝は、20年の統治ののち305年に退位。生まれ故郷のサロナに近いスプリットに宮殿を建て移り住みます。高さ20m以上の強固な城壁で囲み、4つの門を設けた宮殿には、皇帝の居室、霊廟、3つの神殿などがありました。7世紀にスラブ人などの侵攻によりサロナが廃墟となると、逃れてきた住民が宮殿の石材を利用して新たな町を造り住み着き、スプリットは発展していきました。現在は市民の憩いの場となっている列柱で囲まれた広場、ドーム天井の前庭や、皇帝の胸像や机、ローマ時代の水道管などが展示された宮殿地下など、随所に往時を彷彿させる遺構が残されています。ちなみに13~14世紀には、ディオクレティアヌス帝の霊廟は大聖堂に、ユピテル神殿は洗礼堂に改造されました。キリスト教迫害を行ったと伝わるディオクレティアヌス帝は、どう思っていることでしょう。
海岸を埋め立てて造られた宮殿前のプロムナードには、レストランやカフェが並んでいます。そのオープンテラス席に流れる風は、古代ローマから幾時代を重ねてきた歴史の薫りを運んできます。