Story
チェコ・ボヘミアのクトナー・ホラ、小さな集落に過ぎなかったこの町を、プラハをも凌ぐといわれた都市に変貌させたのは、13世紀に発見された銀鉱脈でした。14~15世紀には銀の採掘と銀貨鋳造によって繁栄し、その中心街は1995年、世界遺産に登録されました。
クトナー・ホラの銀産出量は豊富で、13世紀にはヨーロッパの3分の1を占めチェコ黄金期の経済を支えました。14世紀にはボヘミア王ヴァーツラフ2世によって王立造幣局が設立され、ここで鋳造された高品質な銀貨が中央ヨーロッパの共通貨幣となり、チェコに莫大な富をもたらしました。造幣局は王の邸宅を兼ね、イタリア宮と呼ばれ歴代の王がしばしば滞在したため、クトナー・ホラはチェコの経済・政治・文化の中心的な都市となりました。また14世紀には、市民たちが資金を集め、鉱山労働者の守護聖人として聖バルバラ教会の建設も始まりました。それはゴシック様式の壮大な建築で、聖堂内には袈裟のような服装の鉱山労働者の像や、銀貨鋳造の様子を描いたフレスコ画があり、この町が銀鉱山で栄えたことを伝えています。
しかし、豊富な産出量を誇った銀も16世紀になると枯渇しはじめ、町は次第に衰退し、18世紀には造幣局も閉鎖されました。今では銀の採掘で繁栄の極にあった往時を想像できないほど静かなクトナー・ホラですが、修復された町並みや壮麗な建築群を前にすれば、プラハさえ影がかすむといわれた栄華を窺い知ることができるでしょう。
クトナー・ホラの銀産出量は豊富で、13世紀にはヨーロッパの3分の1を占めチェコ黄金期の経済を支えました。14世紀にはボヘミア王ヴァーツラフ2世によって王立造幣局が設立され、ここで鋳造された高品質な銀貨が中央ヨーロッパの共通貨幣となり、チェコに莫大な富をもたらしました。造幣局は王の邸宅を兼ね、イタリア宮と呼ばれ歴代の王がしばしば滞在したため、クトナー・ホラはチェコの経済・政治・文化の中心的な都市となりました。また14世紀には、市民たちが資金を集め、鉱山労働者の守護聖人として聖バルバラ教会の建設も始まりました。それはゴシック様式の壮大な建築で、聖堂内には袈裟のような服装の鉱山労働者の像や、銀貨鋳造の様子を描いたフレスコ画があり、この町が銀鉱山で栄えたことを伝えています。
しかし、豊富な産出量を誇った銀も16世紀になると枯渇しはじめ、町は次第に衰退し、18世紀には造幣局も閉鎖されました。今では銀の採掘で繁栄の極にあった往時を想像できないほど静かなクトナー・ホラですが、修復された町並みや壮麗な建築群を前にすれば、プラハさえ影がかすむといわれた栄華を窺い知ることができるでしょう。