Story
チェコの首都プラハの南東120㎞、モラヴィア地方に中世の佇まいをとどめるテルチは、プラハとウィーンとのほぼ中間に位置し、またチェコを東西に結ぶ通商路の要衝として中世から栄えた町。聖母マリアの柱像が立つ広場にはルネサンス様式とバロック様式の家々が並び、その美しさから「モラヴィアの真珠」とも称されています。
町の礎が築かれたのは12世紀のこと。しかし、1530年の大火で建物のほとんどが焼失。当時の領主フラデツ家のザハリアーシュは町の再建にあたり、広場周辺の建物をすべてルネサンス様式と初期バロック様式を基準に設計するよう定め、建物の正面は家主の自由にまかせました。その結果、市民たちは競うように趣向を凝らし、櫓や張り出し窓などが付いた家を建て、ピンク、黄色、白、青、緑など、カラフルで個性的な町並みが生まれたといいます。広場の北西にあるテルチ城は、16世紀にザハリアーシュがイタリアの建築家を呼び寄せルネサンス様式に改築したもの。豪華な格天井の「黄金の間」など、ルネサンスの美の粋をガイドツアーで見学できます。
テルチは中世の建築様式の家屋や城館、イエズス教会、聖ヤコブ教会などの建造物が取り巻く広場の空間そのものが素晴らしく、またかつては天然の要塞となっていた3つの池に囲まれ、水面に映る町の姿には心を奪われます。広場のベンチで、あるいは池にボートを浮かべて、のんびりと絵のような景観を楽しみたい世界遺産の町です。
町の礎が築かれたのは12世紀のこと。しかし、1530年の大火で建物のほとんどが焼失。当時の領主フラデツ家のザハリアーシュは町の再建にあたり、広場周辺の建物をすべてルネサンス様式と初期バロック様式を基準に設計するよう定め、建物の正面は家主の自由にまかせました。その結果、市民たちは競うように趣向を凝らし、櫓や張り出し窓などが付いた家を建て、ピンク、黄色、白、青、緑など、カラフルで個性的な町並みが生まれたといいます。広場の北西にあるテルチ城は、16世紀にザハリアーシュがイタリアの建築家を呼び寄せルネサンス様式に改築したもの。豪華な格天井の「黄金の間」など、ルネサンスの美の粋をガイドツアーで見学できます。
テルチは中世の建築様式の家屋や城館、イエズス教会、聖ヤコブ教会などの建造物が取り巻く広場の空間そのものが素晴らしく、またかつては天然の要塞となっていた3つの池に囲まれ、水面に映る町の姿には心を奪われます。広場のベンチで、あるいは池にボートを浮かべて、のんびりと絵のような景観を楽しみたい世界遺産の町です。