Story
巨大建造物ピラミッドに、奴隷たちは重労働を強いられていた…そんな話をどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。しかし今では、農閑期に行われた公共事業だったと考えられているのです。実際に王を称える当時の落書きも発見されており、人々は王のために報酬をもらって働いていたと言われています。
近年まで王墓説が信じられてきたのはなぜでしょう。紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスは著書『歴史』の中で、クフ王のピラミッドをエジプトの神官が「王の墓だと言った」と記しました。これはピラミッド完成からなんと2千年以上も経った時代の信憑性のない話でしたが、何度も引用されるうちに、定説となってしまったのです。
さらに820年、アル・マムーンがクフ王のピラミッドに穴を開け内部に侵入し「石棺」があったことから、王墓説は決定的なものになりましたが、「王の間」や「女王の間」、「大回廊」なども後世の人間が勝手に名付けたもの。「石棺」でさえミイラが入っていたわけではないのです。王墓説は実に曖昧なものだったと言えるでしょう。
これはピラミッドの建築法に関しても同じで、重い石を木製の起重装置で運んだとされていましたが、今では周辺にスロープを作り、ソリで運んだという説が有力です。数々の推測が飛び交う中、いまだ多くの謎に包まれたピラミッド。古代人の叡知とエネルギーの集大成をぜひ間近でご覧になってみませんか。
近年まで王墓説が信じられてきたのはなぜでしょう。紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスは著書『歴史』の中で、クフ王のピラミッドをエジプトの神官が「王の墓だと言った」と記しました。これはピラミッド完成からなんと2千年以上も経った時代の信憑性のない話でしたが、何度も引用されるうちに、定説となってしまったのです。
さらに820年、アル・マムーンがクフ王のピラミッドに穴を開け内部に侵入し「石棺」があったことから、王墓説は決定的なものになりましたが、「王の間」や「女王の間」、「大回廊」なども後世の人間が勝手に名付けたもの。「石棺」でさえミイラが入っていたわけではないのです。王墓説は実に曖昧なものだったと言えるでしょう。
これはピラミッドの建築法に関しても同じで、重い石を木製の起重装置で運んだとされていましたが、今では周辺にスロープを作り、ソリで運んだという説が有力です。数々の推測が飛び交う中、いまだ多くの謎に包まれたピラミッド。古代人の叡知とエネルギーの集大成をぜひ間近でご覧になってみませんか。