Story
ドイツの「父なる川」ライン川のほとりに堂々たる姿で佇むシュパイヤー大聖堂は、神聖ローマ帝国皇帝コンラート2世が1030年、繁栄の極みにあったこの地に自らの墓所として建設を開始しました。そして孫のハインリヒ4世治世下の1061年に献堂式が行われました。大聖堂は全長133m、世界最大級のロマネスク建築の教会で、神聖ローマ皇帝の権威を見せ付けるかのように、4本の塔が天空にそびえ立っています。
赤い砂岩で造られた大聖堂は、平面図を見るとキリスト教の十字架の形をしています。その地下にはドイツ最大といわれるクリプタ(地下聖堂)があり、コンラート2世をはじめ歴代の皇帝や皇后たちが永久の眠りについています。「カイザードーム(皇帝大聖堂)」と呼ばれ、創建後幾世紀も神聖ローマ帝国の象徴として君臨し続けたシュパイヤー大聖堂ですが、17世紀にフランスの侵攻を受け、ルイ14世の兵士たちによって焼かれ無残な姿になりました。その後18世紀に修復されるも、再びフランス軍に破壊され、19世紀に再度修復が行われました。そして1961年、本格的な修復によって創建当時の姿を取り戻したシュパイヤー大聖堂が、ライン河畔の丘に甦りました。
度重なる破壊に遭いながら、その都度修復や再建がなされてきたシュパイヤー大聖堂は、創建当時の様式がよく保存されたロマネスク建築として1981年、世界遺産に登録されました。荘厳な建築もさることながら、再生の歴史に思いをはせると感慨もより深くなることでしょう。
赤い砂岩で造られた大聖堂は、平面図を見るとキリスト教の十字架の形をしています。その地下にはドイツ最大といわれるクリプタ(地下聖堂)があり、コンラート2世をはじめ歴代の皇帝や皇后たちが永久の眠りについています。「カイザードーム(皇帝大聖堂)」と呼ばれ、創建後幾世紀も神聖ローマ帝国の象徴として君臨し続けたシュパイヤー大聖堂ですが、17世紀にフランスの侵攻を受け、ルイ14世の兵士たちによって焼かれ無残な姿になりました。その後18世紀に修復されるも、再びフランス軍に破壊され、19世紀に再度修復が行われました。そして1961年、本格的な修復によって創建当時の姿を取り戻したシュパイヤー大聖堂が、ライン河畔の丘に甦りました。
度重なる破壊に遭いながら、その都度修復や再建がなされてきたシュパイヤー大聖堂は、創建当時の様式がよく保存されたロマネスク建築として1981年、世界遺産に登録されました。荘厳な建築もさることながら、再生の歴史に思いをはせると感慨もより深くなることでしょう。