Story
ロマンチック街道の起点となるヴュルツブルクは、ぶどう畑が連なるマイン川沿いの古都。神聖ローマ帝国時代の1719年、この地の領主司教になったヨハン・フィリップ・フランツが、もてる富をつぎ込み、権力の象徴として建てた司教館はバロック建築の傑作。その美しさは、ナポレオンも「ヨーロッパ一美しい館」と讃えたほどです。
この美しき館を設計したのは、駆け出しの新人建築家、バルザタール・ノイマンでした。館の約3倍もある皇帝庭園に囲まれた司教館は、5つの大広間と300以上の部屋からなり、“白の間”の漆喰による精緻なレリーフ装飾は、イタリア人の名匠アントニオ・ボッシの手によるもの。豪華な“鏡の間”は、特殊な技術でガラスの内側に絵が描かれたベネチア製の鏡で装飾され、有名な“階段室”は、吹き抜けの大天井をベネチアの天才画家ティエポロが描いた世界最大のフレスコ画が飾っています。
ノイマンを表す代表的なエピソードとしては、司教館を入ってすぐにある柱を使わずに鉄で強度を高めた大空間「階段室」です。当時の建築常識にはない構造で、強度に問題があると建築学会より批判されますが、ノイマンは「ここで大砲を放ってもよい」と反論。後年、第二次世界大戦中の爆撃で司教館は破壊されますが階段室は崩れずに残り、ノイマンの論が正しかったことを証明することに。他の司教たちが羨んだ司教館は、若き建築家を抜擢したフリップ司教の眼力もさることながら、あふれる才能と新人らしからぬ裁量で、ヨーロッパ中のそうそうたる芸術家をマネージメントした奇才ノイマンを抜きには語れません。
この美しき館を設計したのは、駆け出しの新人建築家、バルザタール・ノイマンでした。館の約3倍もある皇帝庭園に囲まれた司教館は、5つの大広間と300以上の部屋からなり、“白の間”の漆喰による精緻なレリーフ装飾は、イタリア人の名匠アントニオ・ボッシの手によるもの。豪華な“鏡の間”は、特殊な技術でガラスの内側に絵が描かれたベネチア製の鏡で装飾され、有名な“階段室”は、吹き抜けの大天井をベネチアの天才画家ティエポロが描いた世界最大のフレスコ画が飾っています。
ノイマンを表す代表的なエピソードとしては、司教館を入ってすぐにある柱を使わずに鉄で強度を高めた大空間「階段室」です。当時の建築常識にはない構造で、強度に問題があると建築学会より批判されますが、ノイマンは「ここで大砲を放ってもよい」と反論。後年、第二次世界大戦中の爆撃で司教館は破壊されますが階段室は崩れずに残り、ノイマンの論が正しかったことを証明することに。他の司教たちが羨んだ司教館は、若き建築家を抜擢したフリップ司教の眼力もさることながら、あふれる才能と新人らしからぬ裁量で、ヨーロッパ中のそうそうたる芸術家をマネージメントした奇才ノイマンを抜きには語れません。