Story
アテネから北西へ178kmのギリシャ中部、眼下にオリーブ畑と遠くコリンティアコス湾を望むパルナッソス連山の麓に広がるデルフィの遺跡は、アポロンの神託が行われていた聖域です。古代ギリシャではここが「大地のヘソ(世界の中心)」と信じられていました。
ギリシャ神話によると、デルフィの神託所を守護していた大蛇のピュートンが、ゼウスの子アポロンを身ごもった母を亡き者にしようとしたため、アポロンは生まれるとすぐ弓矢でピュートンを退治、神託所はアポロンに与えられました。そして巫女にピューティアと名乗らせ、その体を借りて神のお告げを受けるようになったということです。この聖域の中核は、紀元前からデルフィが閉鎖される381年まで神託が行われていたアポロン神殿です。今は数本の列柱と土台を残すのみですが、前室の地下からは「大地のヘソ」と呼ばれる石が発見されました(デルフィ博物館に展示)。巫女が神託を受けたと思われる場所で、当時の人々にとってここが世界の中心でした。
デルフィでは、死せるピュートンに対する葬礼競技よりはじまったとされる「ピューティア祭」が8年ごとに開催されていました。当初は音楽と詩歌の競技が中心でしたが、紀元前582年以降は運動競技も加わり、4年に一度と、定期的に開催されるようになりました。岩盤を掘り抜いて造られた野外劇場は5,000人を収容できる規模を誇り、その舞台に立つと、かつて「世界の中心」と呼ばれたデルフィの情景が目に浮かぶようです。
ギリシャ神話によると、デルフィの神託所を守護していた大蛇のピュートンが、ゼウスの子アポロンを身ごもった母を亡き者にしようとしたため、アポロンは生まれるとすぐ弓矢でピュートンを退治、神託所はアポロンに与えられました。そして巫女にピューティアと名乗らせ、その体を借りて神のお告げを受けるようになったということです。この聖域の中核は、紀元前からデルフィが閉鎖される381年まで神託が行われていたアポロン神殿です。今は数本の列柱と土台を残すのみですが、前室の地下からは「大地のヘソ」と呼ばれる石が発見されました(デルフィ博物館に展示)。巫女が神託を受けたと思われる場所で、当時の人々にとってここが世界の中心でした。
デルフィでは、死せるピュートンに対する葬礼競技よりはじまったとされる「ピューティア祭」が8年ごとに開催されていました。当初は音楽と詩歌の競技が中心でしたが、紀元前582年以降は運動競技も加わり、4年に一度と、定期的に開催されるようになりました。岩盤を掘り抜いて造られた野外劇場は5,000人を収容できる規模を誇り、その舞台に立つと、かつて「世界の中心」と呼ばれたデルフィの情景が目に浮かぶようです。