Story
古代ギリシア人の都市国家が造られ交易で栄えたロードス島は、エーゲ海の南に浮かぶ淡路島の2倍ほどの島。かつて港には太陽神ヘリオスの巨像が立ち、古代の世界の七不思議にも数えられていました。中世になると聖ヨハネ騎士団がこの島を占拠。堅固な城壁を築き城塞都市に仕立てました。まるごと世界遺産に登録されたロードス市の旧市街は、今も中世さながらの時を刻んでいるかのようです。
聖地エルサレムで巡礼者の医療活動を行っていた修道院が、十字軍の時代に軍事的な宗教騎士団となり、イスラム軍と戦った聖ヨハネ騎士団。しかし、13世紀に聖地を追われキプロス島へ。さらに1309年にロードス島へと退却を余儀なくされました。厚さ10mを超える城壁を4kmにわたり巡らせ、ここをイスラム世界への砦として聖地奪還を目指したのです。騎士団通りには各語族の騎士団の館が並び、奥には騎士団長の宮殿が聳えます。その重厚な造りからは常に敵の来襲に備えていたことが窺え、考古学博物館となっている当時の施療院の建物では、騎士団の日常の一端を偲ぶことができます。
2世紀もの間イスラム軍の攻撃を退け続けたものの、1522年に侵攻してきたオスマン帝国との戦いに敗れ、マルタ島に退くことになった聖ヨハネ騎士団。宮殿前の広場から城壁の上にのぼると眼下に広がる旧市街と海。今は地中海クルーズが立ち寄る穏やかな海に、オスマンの軍船が押し寄せていたかと思うと隔世の感があります。
聖地エルサレムで巡礼者の医療活動を行っていた修道院が、十字軍の時代に軍事的な宗教騎士団となり、イスラム軍と戦った聖ヨハネ騎士団。しかし、13世紀に聖地を追われキプロス島へ。さらに1309年にロードス島へと退却を余儀なくされました。厚さ10mを超える城壁を4kmにわたり巡らせ、ここをイスラム世界への砦として聖地奪還を目指したのです。騎士団通りには各語族の騎士団の館が並び、奥には騎士団長の宮殿が聳えます。その重厚な造りからは常に敵の来襲に備えていたことが窺え、考古学博物館となっている当時の施療院の建物では、騎士団の日常の一端を偲ぶことができます。
2世紀もの間イスラム軍の攻撃を退け続けたものの、1522年に侵攻してきたオスマン帝国との戦いに敗れ、マルタ島に退くことになった聖ヨハネ騎士団。宮殿前の広場から城壁の上にのぼると眼下に広がる旧市街と海。今は地中海クルーズが立ち寄る穏やかな海に、オスマンの軍船が押し寄せていたかと思うと隔世の感があります。