Story
愛妃の死を悼み総大理石の白亜の霊廟タージ・マハルを建てたムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン。その彼がアグラから都を移し、自らの名を冠した新都に築いた居城が、インドの首都デリーに聳える壮大な「赤い城」レッド・フォートです。隣接する先の時代のサリームガル・フォートとともに世界遺産に登録されています。
1639年から9年の歳月を費やし1648年に完成した居城は、建材に赤砂岩を用いていることからレッド・フォートと呼ばれ、「コーラン」に描かれた楽園を具現化した城内には、ナッカル・カーナ(中門)、ディワーニ・アーム(一般謁見殿)、ディワーニ・カース(貴賓謁見殿)、モーティー・マスジド(真珠モスク)など、ペルシャやヒンドゥーなどの影響を受けたムガル様式のイスラム建築が並びます。18世紀になるとイギリスによるインドの植民地化が進み、1857年にはインド大反乱が勃発。レッド・フォートはイギリス軍に接収され、独立後はインド軍の施設として使用された経緯があり、インド独立記念日の首相演説はここで行うのが恒例になっています。
レッド・フォートの完成から10年足らずで病に倒れ、息子によってアグラ城に幽閉され、愛妃の眠るタージ・マハルを眺め74年の生涯を閉じたシャー・ジャハーン。イギリス統治時代の建造物が混在し、創建当時の姿が失われてしまったとはいえ、城内にはムガル帝国全盛期の残り香が漂い、盛者必衰を思わずにはいられません。
1639年から9年の歳月を費やし1648年に完成した居城は、建材に赤砂岩を用いていることからレッド・フォートと呼ばれ、「コーラン」に描かれた楽園を具現化した城内には、ナッカル・カーナ(中門)、ディワーニ・アーム(一般謁見殿)、ディワーニ・カース(貴賓謁見殿)、モーティー・マスジド(真珠モスク)など、ペルシャやヒンドゥーなどの影響を受けたムガル様式のイスラム建築が並びます。18世紀になるとイギリスによるインドの植民地化が進み、1857年にはインド大反乱が勃発。レッド・フォートはイギリス軍に接収され、独立後はインド軍の施設として使用された経緯があり、インド独立記念日の首相演説はここで行うのが恒例になっています。
レッド・フォートの完成から10年足らずで病に倒れ、息子によってアグラ城に幽閉され、愛妃の眠るタージ・マハルを眺め74年の生涯を閉じたシャー・ジャハーン。イギリス統治時代の建造物が混在し、創建当時の姿が失われてしまったとはいえ、城内にはムガル帝国全盛期の残り香が漂い、盛者必衰を思わずにはいられません。