Story
イタリア中部トスカーナ州の古都フィレンツェから南へ約57km。標高約324mの丘の上に広がり、「塔の町」の異名を持つサン・ジミニャーノは、中世の姿を留める美しい町。ローマへの巡礼の道・フランチジェナ街道と、ピサとフィレンツェを結ぶピサーナ街道が交差する交通の要衝にあり、9~12世紀にかけて発展。当時、染料として珍重され、金のように高価だったサフランの生産や交易により莫大な富を築きました。
そんなサフランの取り引きで潤っていた13世紀、町は教皇派と皇帝派の2つの勢力に分かれ、両派の貴族たちが互いの富と権力を誇示するため、次々に塔を住居として建て、高さを競いました。それは14世紀初め、町当局が54mのグロッサの塔を建て、これ以上高い塔の建設を禁じたほどの過熱ぶりでした。最盛期には50mを越えるものを含め、72もの塔が林立していたといいます。しかし、2派による内紛にペストの流行が追い打ちをかけ町は衰退。フィレンツェの支配下に組み入れられ、フランチジェナ街道が利用されなくなり、さらにさびれた町に塔が残されました。そして今もグロッサの塔など14の塔が、時を忘れたかのようにサン・ジミニャーノの空に聳え立っています。
中世の面影を色濃く残す歴史の教科書さながらの町並みを歩き、ドゥオーモを飾るギルランダイオ作の聖女フィーナの生涯を描いたフレスコ画など、ルネサンス期の名画の数々に接すれば、当時の貴族たちの豪奢な生活ぶりや芸術文化が時を越えて甦ることでしょう。
そんなサフランの取り引きで潤っていた13世紀、町は教皇派と皇帝派の2つの勢力に分かれ、両派の貴族たちが互いの富と権力を誇示するため、次々に塔を住居として建て、高さを競いました。それは14世紀初め、町当局が54mのグロッサの塔を建て、これ以上高い塔の建設を禁じたほどの過熱ぶりでした。最盛期には50mを越えるものを含め、72もの塔が林立していたといいます。しかし、2派による内紛にペストの流行が追い打ちをかけ町は衰退。フィレンツェの支配下に組み入れられ、フランチジェナ街道が利用されなくなり、さらにさびれた町に塔が残されました。そして今もグロッサの塔など14の塔が、時を忘れたかのようにサン・ジミニャーノの空に聳え立っています。
中世の面影を色濃く残す歴史の教科書さながらの町並みを歩き、ドゥオーモを飾るギルランダイオ作の聖女フィーナの生涯を描いたフレスコ画など、ルネサンス期の名画の数々に接すれば、当時の貴族たちの豪奢な生活ぶりや芸術文化が時を越えて甦ることでしょう。