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石見銀山/日本自然との共存を実現した産業遺跡

石見銀山

Story

登録延期の勧告を覆して2007年に世界遺産登録。逆転登録の決め手となったのは、その考古学的価値もさることながら、石見銀山の環境に配慮した鉱山の経営にありました。坑道を掘り進めていく採掘法を採用して周辺環境の保全を図り、銀の精錬に使う木材を植林で得ていた自然共生型の鉱山であったことが評価され、「産業遺産」としてはアジア初の登録となったのです。

石見銀山は、戦国時代に採掘が始まった日本最大の鉱山遺跡。大内氏と尼子氏、毛利氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられ、豊臣秀吉の朝鮮出兵の軍資金にも充てられたことはよく知られています。江戸時代には幕府直轄領となり、その財源を支えましたが、慶長〜寛永期をピークに産銀量は次第に減少。明治以後は民間企業による梃入れもむなしく、大正12年(1923)ついに600年の歴史に幕が引かれました。

大航海時代、世界に流通していた銀の約3分の1が日本産だったといわれ、そのほとんどを石見の銀が占めていました。それというのも、灰吹法という鉛を使った精錬技術をいち早く導入することにより、良質の銀を大量に生産できるようになったため。ヨーロッパ諸国における石見銀山の重要性は、当時の航海地図に大きく扱われていることからも明らかで、東西の経済・文化交流に果たした役割は計り知れません。

銀山柵内と呼ばれる鉱山跡を中核に、製錬所跡、山城跡、鉱山労働者の住居跡、銀や物資を運んだ街道及び銀の積出港など、見どころは広範囲。龍源寺間歩(まぶ)や代官所跡など銀山ならではの史跡めぐりはもとより、美しい自然を満喫できるトレッキングツアーもおすすめです。

Photos

龍源寺間歩

現在公開されているのは龍源寺間歩(まぶ)のみ

石見銀山

緑豊かな美しい自然を大切にしてきた石見銀山

Data

登録名
石見銀山遺跡とその文化的景観
登録年
2007年
分類
文化遺産
国名
日本
住所
島根県大田市大森町イ1597-3
アクセス
バス:JR太田市駅からバスで約30分
ベストシーズン
通年