Story
世界遺産に登録された華城(ファソン)は、ソウルから南へ約35kmの水原(スウォン)に、李氏朝鮮第22代王の正祖(チョンジョ)が築いた城郭。正祖の父は、王の世継ぎでありながら政争に巻き込まれ、非業の最期を遂げてしまいます。正祖はその死を悼み、霊を弔うのに風水的に最高の土地であった水原に改葬。父のそばにいられるよう、ソウルから都を移そうと考え築造を開始したのがこの華城でした。
華城の設計を担当した丁若鏞(チョン・ヤギョン)は、実学(生活に役立つ実用的な学問)を修めた実学者で、滑車やテコの原理を応用した挙重機(クレーンのようなもの)を考案するなど、当時の建築技術の粋を集め、また西洋の近代的な工法も導入し、1794年の着工から2年という短い工期で1796年に完成。しかし、その直後に正祖は亡くなり、水原遷都は幻と消えました。
華城は総面積約130ha。周囲に約5.7kmの城壁を巡らせ、東西南北に、それぞれ蒼龍門、華西門、八達門、長安門の四大門が設けられています。城郭にはためく旗は、青は東、白は西、赤は南、黒は北の方角を表し、正祖が行幸の際に宿泊した華城行宮には、黄色の旗が立っています。華城行宮は正門の新豊樓、正殿の奉寿堂、正祖が滞在した福内堂などの建物から成る仮の宮。正祖は12年間に13回、水原に改葬した父の墓所を参拝しており、これほど壮大な城を造らせた、正祖の亡き父への思慕の情を思わずにはいられません。
華城の設計を担当した丁若鏞(チョン・ヤギョン)は、実学(生活に役立つ実用的な学問)を修めた実学者で、滑車やテコの原理を応用した挙重機(クレーンのようなもの)を考案するなど、当時の建築技術の粋を集め、また西洋の近代的な工法も導入し、1794年の着工から2年という短い工期で1796年に完成。しかし、その直後に正祖は亡くなり、水原遷都は幻と消えました。
華城は総面積約130ha。周囲に約5.7kmの城壁を巡らせ、東西南北に、それぞれ蒼龍門、華西門、八達門、長安門の四大門が設けられています。城郭にはためく旗は、青は東、白は西、赤は南、黒は北の方角を表し、正祖が行幸の際に宿泊した華城行宮には、黄色の旗が立っています。華城行宮は正門の新豊樓、正殿の奉寿堂、正祖が滞在した福内堂などの建物から成る仮の宮。正祖は12年間に13回、水原に改葬した父の墓所を参拝しており、これほど壮大な城を造らせた、正祖の亡き父への思慕の情を思わずにはいられません。