Story
韓国東南部の慶州(キョンジュ)は、紀元前57年から紀元935年まで1000年にわたって新羅の都でした。新羅が676年に百済、高句麗を滅ぼし三国統一をなし遂げると、その都である慶州は朝鮮半島の政治・文化の中心地として繁栄を極めました。世界遺産に登録された歴史地区には遺跡が点在、古墳群が独特の景観をつくり出しています。
古墳の中に町があるといっても過言ではない慶州。中心街に広がる広さ15万㎡ もの「古墳公園」(正式名:大陵苑)には、園内でも最大規模を誇る高さ約25m、底辺の直径約83mの皇南大塚をはじめ新羅王族の古墳が23基もあり、古墳群から出土した新羅王のきらびやかな金冠や1万1500余点もの副葬品が国立慶州博物館に収蔵されています。博物館の屋外にも貴重な遺産が展示され、なかでも8世紀後半に造られた韓国最古の鐘であり悲しい伝説をもつ、国宝の「エミレの鐘」は歴史を感じさせます。また、7世紀頃に建造され星の動きや月の満ち欠けの観察に使われたという東洋最古の天文台「瞻星台(チョムソンデ)」など、新羅の文化の高さを窺わせる建造物が随所に残っています。
古墳群や王朝の栄華を偲ばせる遺跡に加え、多くの寺院が建てられ仏教芸術の花開いた慶州には寺跡も多く、「屋根のない博物館」といわれるほど歴史的な見どころが豊富。さらに近年は新羅1000年の古都の魅力ばかりでなく、郊外の普門湖畔でリゾート開発が進み、国内外から年間900万人が訪れる観光都市として発展しています。
古墳の中に町があるといっても過言ではない慶州。中心街に広がる広さ15万㎡ もの「古墳公園」(正式名:大陵苑)には、園内でも最大規模を誇る高さ約25m、底辺の直径約83mの皇南大塚をはじめ新羅王族の古墳が23基もあり、古墳群から出土した新羅王のきらびやかな金冠や1万1500余点もの副葬品が国立慶州博物館に収蔵されています。博物館の屋外にも貴重な遺産が展示され、なかでも8世紀後半に造られた韓国最古の鐘であり悲しい伝説をもつ、国宝の「エミレの鐘」は歴史を感じさせます。また、7世紀頃に建造され星の動きや月の満ち欠けの観察に使われたという東洋最古の天文台「瞻星台(チョムソンデ)」など、新羅の文化の高さを窺わせる建造物が随所に残っています。
古墳群や王朝の栄華を偲ばせる遺跡に加え、多くの寺院が建てられ仏教芸術の花開いた慶州には寺跡も多く、「屋根のない博物館」といわれるほど歴史的な見どころが豊富。さらに近年は新羅1000年の古都の魅力ばかりでなく、郊外の普門湖畔でリゾート開発が進み、国内外から年間900万人が訪れる観光都市として発展しています。