Story
メキシコシティの南東約70kmのメキシコ中央部に、富士山に似た壮麗な山容を見せる標高およそ5400mの成層火山ポポカテペトル山。その山麓一帯には、16世紀にスペイン人によって建てられた14の修道院が今に残り、スペイン統治時代のメキシコの歴史を物語ります。
1521年、コルテス率いるスペイン軍にアステカ帝国が征服されると、スペインからフランシスコ会、ドミニコ会、アウグスティヌス会などキリスト教各会派の修道士が上陸し、クエルナバカを皮切りに修道院を次々に建設しました。16世紀末には300以上にのぼったといわれます。修道士たちは先住民をキリスト教に改宗させようとしましたが、土着の神々への信仰が強く布教活動ははかどりません。そこで、宗教儀式を外で行っていた先住民が受け入れやすいよう、屋外に礼拝堂を設けるなど、先住民の習慣に合わせた修道院が造られました。
世界遺産に登録された14の修道院は、いずれも要塞のような堅固な壁に囲まれた質素な造りをしており、食堂や宿坊などからは、神と起居を共にし布教に情熱を注いでいた修道士たちの生活が偲ばれます。また、屋外礼拝堂や宗教画、フレスコ画などからは、土着の風俗伝統を継承しつつ、新しい宗教文化を受け入れていった先住民たちの姿が垣間見えます。ポポカテペトル山腹の修道院群を訪ねる旅は、先住民の文化にスペインの文化が混じりあい、現在の独特のメキシコ文化が形成されていった、その歴史を遡る旅でもあります。
1521年、コルテス率いるスペイン軍にアステカ帝国が征服されると、スペインからフランシスコ会、ドミニコ会、アウグスティヌス会などキリスト教各会派の修道士が上陸し、クエルナバカを皮切りに修道院を次々に建設しました。16世紀末には300以上にのぼったといわれます。修道士たちは先住民をキリスト教に改宗させようとしましたが、土着の神々への信仰が強く布教活動ははかどりません。そこで、宗教儀式を外で行っていた先住民が受け入れやすいよう、屋外に礼拝堂を設けるなど、先住民の習慣に合わせた修道院が造られました。
世界遺産に登録された14の修道院は、いずれも要塞のような堅固な壁に囲まれた質素な造りをしており、食堂や宿坊などからは、神と起居を共にし布教に情熱を注いでいた修道士たちの生活が偲ばれます。また、屋外礼拝堂や宗教画、フレスコ画などからは、土着の風俗伝統を継承しつつ、新しい宗教文化を受け入れていった先住民たちの姿が垣間見えます。ポポカテペトル山腹の修道院群を訪ねる旅は、先住民の文化にスペインの文化が混じりあい、現在の独特のメキシコ文化が形成されていった、その歴史を遡る旅でもあります。