Story
イラン南部ファールス州の一面に荒野が広がる大地に、かつて世界の中心と呼ばれたアケメネス朝ペルシアの都ペルセポリスがありました。西はエジプトから東はインドに至る大帝国を築きあげたダレイオス1世が紀元前518年に創建し、3代約60年にわたり建設が続けられました。切石を積み上げた東西約300m、南北約450mの大基壇の上に、歴代王の宮殿跡など壮大な建築群が残されています。
宮殿群の中でも保存状態の良いタチャルは、ダレイオス1世の私的な宮殿で、「鏡の間」とも呼ばれています。それは建材に黒光りするまで磨き込まれた黒大理石が使われていたためで、今もその片鱗を窺わせます。彫像には宝石が散りばめられていたといわれ、建設当時はさぞ壮観だったことでしょう。 最盛期のペルセポリスには、支配下の諸民族が王に捧げるさまざまな貢ぎ物を持って訪れました。それを収めていたのが宝物庫です。ダレイオス1世以来、歴代の王のもとに集まった財宝は膨大なものでした。ペルセポリスを陥落させたマケドニアのアレクサンドロス大王は、なんと1万頭のロバと五千頭のラクダを使って、その財宝を運び出させたといわれます。
それほど莫大な富と強大な権勢を誇ったアケメネス朝ペルシア。高さ20mもの列柱、精緻な彫像やレリーフなど、紀元前のものとは到底思えない建築・装飾技術から、世界の中心と形容された往時を窺い知ることができ、廃墟となった今も壮麗さが伝わってきます。
宮殿群の中でも保存状態の良いタチャルは、ダレイオス1世の私的な宮殿で、「鏡の間」とも呼ばれています。それは建材に黒光りするまで磨き込まれた黒大理石が使われていたためで、今もその片鱗を窺わせます。彫像には宝石が散りばめられていたといわれ、建設当時はさぞ壮観だったことでしょう。 最盛期のペルセポリスには、支配下の諸民族が王に捧げるさまざまな貢ぎ物を持って訪れました。それを収めていたのが宝物庫です。ダレイオス1世以来、歴代の王のもとに集まった財宝は膨大なものでした。ペルセポリスを陥落させたマケドニアのアレクサンドロス大王は、なんと1万頭のロバと五千頭のラクダを使って、その財宝を運び出させたといわれます。
それほど莫大な富と強大な権勢を誇ったアケメネス朝ペルシア。高さ20mもの列柱、精緻な彫像やレリーフなど、紀元前のものとは到底思えない建築・装飾技術から、世界の中心と形容された往時を窺い知ることができ、廃墟となった今も壮麗さが伝わってきます。