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バターリャ修道院/ポルトガルポルトガルが雄飛した勝利と独立のシンボル

バターリャ修道院

Story

ポルトガル中西部にポルトガル語で「戦い」を意味するバターリャという町があります。1385年、王位継承問題を巡りポルトガル軍はスペインのカスティーリャ軍と戦い勝利を収めます。バターリャの修道院は、その象徴として建てられ、正式名称を「サンタ・マリア・ダ・ヴィトーリア(勝利の聖母マリア)修道院」といいます。

14世紀のポルトガルは国家の危機にありました。時の国王フェルナンド1世が王位継承者を残さずに没してしまい、一人娘のベアトリス王女はカスティーリャ王に嫁いでいました。王位継承をもくろんだカスティーリャ王はポルトガルへ攻め入ります。これをわずかな兵で迎え撃ったのがジョアン1世。聖母マリアに祈りを捧げ、「アルジュバロータの戦い」で勝利し、独立を死守しました。その3年後、聖母マリアを称える修道院の建設が開始されます。 延べ15人の建築家が携わり、16世紀初頭まで2世紀にわたって建設された修道院は、ゴシック様式の回廊にマヌエル様式の装飾が施された「王の回廊」など、各時代の建築様式が独特の調和を見せ、天井が未完成に終わった「未完の礼拝堂」が、長い年月を物語ります。

ポルトガルの命運を決するスペインとの戦いを勝利に導いたジョアン1世の命で建設され、その後、代々の王と幾人もの建築家に引き継がれ建設が続けられたバターリャ修道院。壮大にして華麗なモニュメントを目の当たりにすると、ポルトガルの黄金期が甦ります。

Photos

バターリャ修道院 入り口

幾重にも重なるように石彫で飾れた扉口の装飾はマヌエル様式の代表作

バターリャ修道院 回廊

マヌエル様式とゴシック様式の調和がなんとも美しい王の回廊

Data

登録名
バターリャの修道院
登録年
1983年
分類
文化遺産
国名
ポルトガル
住所
Largo Infante Dom Henrique, 2440-109 Batalha, ポルトガル
アクセス
リスボンのセッテ・リオスバスターミナルより約2時間、ナザレより約40分
ベストシーズン
通年