Story
世界遺産のクレムリン(ロシア語で城塞の意味)と聞くとモスクワを連想しますが、ロシア連邦を構成するタタールスタン共和国の首都カザンにも、世界遺産のクレムリンがあります。中世ロシアの都市の中心には、宮殿や聖堂などの建築群からなるクレムリンが多く築かれましたが、カザンのクレムリンは聖堂とモスクが並び立ち、ロシア正教とイスラム教が共存している特異な存在です。
ヴォルガ川中流域のカザンに城塞が築かれたのは11世紀初めのこと。15~16世紀にはイスラム王朝カザン・ハン国の首都として繁栄を見たのも束の間、1552年にイヴァン雷帝の侵攻によって破壊され、城塞内のクル=シャーリフ・モスクも灰燼に帰しました。城塞の建築物で奇蹟的に残ったともいわれるスュユンビケ塔。高さ58m、レンガ造り6層の斜塔は、カザン・ハン最後の王妃が身を投げたとの伝説に彩られ、今も傾き続けています。城塞跡にはその後、新たなクレムリンが造営され、黄金に輝く鐘楼と玉葱型の青い屋根を持つロシア正教会、ブラゴヴェシェンスキー大聖堂が建設。17世紀になるとピョートル大帝(ロシア帝国初代皇帝)の改革により、ほぼ現在のカザン・クレムリンの原形が出来上がりました。
イヴァン雷帝に破壊されたクル=シャーリフ・モスクは2005年、元の敷地に忠実に再建。4本の尖塔が聳えるヨーロッパ最大級のイスラム建築は、タタールスタンの人々の心の拠り所となっています。
ヴォルガ川中流域のカザンに城塞が築かれたのは11世紀初めのこと。15~16世紀にはイスラム王朝カザン・ハン国の首都として繁栄を見たのも束の間、1552年にイヴァン雷帝の侵攻によって破壊され、城塞内のクル=シャーリフ・モスクも灰燼に帰しました。城塞の建築物で奇蹟的に残ったともいわれるスュユンビケ塔。高さ58m、レンガ造り6層の斜塔は、カザン・ハン最後の王妃が身を投げたとの伝説に彩られ、今も傾き続けています。城塞跡にはその後、新たなクレムリンが造営され、黄金に輝く鐘楼と玉葱型の青い屋根を持つロシア正教会、ブラゴヴェシェンスキー大聖堂が建設。17世紀になるとピョートル大帝(ロシア帝国初代皇帝)の改革により、ほぼ現在のカザン・クレムリンの原形が出来上がりました。
イヴァン雷帝に破壊されたクル=シャーリフ・モスクは2005年、元の敷地に忠実に再建。4本の尖塔が聳えるヨーロッパ最大級のイスラム建築は、タタールスタンの人々の心の拠り所となっています。