Story
伝説によると9世紀、エルサレムで処刑されたイエス・キリストの12使徒のひとり聖ヤコブ(スペイン名・サンティアゴ)の墓がスペイン北部で発見され、これを記念して聖堂が建てられました。時はレコンキスタ(国土回復運動)の最中、その地サンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教徒の精神的支柱となり、ヨーロッパ各地から多くの巡礼者が訪れ、教会が建ち、巡礼路ができ町が形成されていきました。
世界遺産に登録されているのは、フランスからピレネー山脈越えの巡礼路。各路はスペインのプエンテ・ラ・レイナで合流し、さらに800kmも続きます。「北方のトレド」と呼ばれたエスティーリャ、カテドラルなど多くの宗教建築が残る古都ブルゴス、壮麗なカテドラルで有名な旧レオン王国の首都レオンなどを経て、サンティアゴ・デ・コンポステーラまであと5kmの「歓喜の丘」に立てば、眼下にスペイン・ロマネスク様式のカテドラルが…。巡礼者が初めて目にする聖なる地です。そして巡礼者は、約200体の聖人像が刻まれた「栄光の門」の中央に座す聖ヤコブ像に迎えられ、聖ヤコブの墓の上に作られたスペイン・バロック様式の主祭壇へ向かうのです。
中世にキリスト教の三大聖地のひとつとなり、12世紀には年間50万人もの人々がサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指しました。巡礼路にはおびただしい数の人々とともにヨーロッパ各地の文物が行き交い、宗教建築や絵画など芸術・文化の発展にも大きく寄与しました。
世界遺産に登録されているのは、フランスからピレネー山脈越えの巡礼路。各路はスペインのプエンテ・ラ・レイナで合流し、さらに800kmも続きます。「北方のトレド」と呼ばれたエスティーリャ、カテドラルなど多くの宗教建築が残る古都ブルゴス、壮麗なカテドラルで有名な旧レオン王国の首都レオンなどを経て、サンティアゴ・デ・コンポステーラまであと5kmの「歓喜の丘」に立てば、眼下にスペイン・ロマネスク様式のカテドラルが…。巡礼者が初めて目にする聖なる地です。そして巡礼者は、約200体の聖人像が刻まれた「栄光の門」の中央に座す聖ヤコブ像に迎えられ、聖ヤコブの墓の上に作られたスペイン・バロック様式の主祭壇へ向かうのです。
中世にキリスト教の三大聖地のひとつとなり、12世紀には年間50万人もの人々がサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指しました。巡礼路にはおびただしい数の人々とともにヨーロッパ各地の文物が行き交い、宗教建築や絵画など芸術・文化の発展にも大きく寄与しました。