Story
ベトナム中部、トゥボン川の河口近くに佇む水辺の町ホイアン。チャンパ王国時代からのこの古い港町を訪れると、どこか懐かしい思いに駆られるのは、かつて1,000人を超える日本人がこの地に暮らしていたからでしょうか。16世紀末〜17世紀末、東西交易の中継地として繁栄したホイアンには、ポルトガル人、中国人などが来航。日本からも朱印船が盛んに往来し、大規模な日本人町が作られていました。東西の文化が混合し形成された古い町並みは今も残り、ランタンの灯りに彩られる風景が心の奥底の郷愁を刺激します。
ホイアンの中心、チャンフー通りの西端にある日本橋(来遠橋)は、1593年に日本人によって架けられ、中国人町と日本人町を結んでいたという屋根付きの橋。そばに建つフンフンの家は、約200年前に建てられた貿易商人の家で、ベトナム、中国、日本の建築様式が融合。同じく200年ほど前に建てられ、7代目の当主が今も暮らすタンキーの家には、日中の建築様式の巧みな調和が見られます。やがて、江戸幕府の鎖国により日本人町は衰退し、代わって台頭したのが中国人町。福建会館をはじめ、中国人の手による建築物が華やかな色彩を放ちます。
徒歩で十分に見てまわれる小さな町・ホイアン。数百年前から変わらない時間が流れる町筋をふらりと歩けば、どこかで見たような、それでいてどこにもない、不思議な世界が行く手に広がります。
ホイアンの中心、チャンフー通りの西端にある日本橋(来遠橋)は、1593年に日本人によって架けられ、中国人町と日本人町を結んでいたという屋根付きの橋。そばに建つフンフンの家は、約200年前に建てられた貿易商人の家で、ベトナム、中国、日本の建築様式が融合。同じく200年ほど前に建てられ、7代目の当主が今も暮らすタンキーの家には、日中の建築様式の巧みな調和が見られます。やがて、江戸幕府の鎖国により日本人町は衰退し、代わって台頭したのが中国人町。福建会館をはじめ、中国人の手による建築物が華やかな色彩を放ちます。
徒歩で十分に見てまわれる小さな町・ホイアン。数百年前から変わらない時間が流れる町筋をふらりと歩けば、どこかで見たような、それでいてどこにもない、不思議な世界が行く手に広がります。