Story
ベトナムの首都ハノイで2002年、巨大な遺跡群が発見されました。それはベトナム最初の民族王朝の都、タンロンの宮城の跡でした。発掘が進むにつれ、ベトナム諸王朝の各時代の遺構が重なるように眠る貴重な遺跡とわかり、2010年に世界遺産に登録されました。
中国の支配を退け、ベトナムに長期的な統一政権を打ち立てた李朝が、中国支配時代の砦の跡に1010年、宮城を創建し都としたのがタンロン(昇龍の意)でした。以降、陳朝、胡朝、黎朝と王朝は交代するものの遷都は行われず、阮朝がフエに王宮の建設を開始する1805年までタンロンは都であり続けました。しかし、その後はインドシナ戦争やベトナム戦争の戦禍にさらされたタンロンの地。そして2002年、新国会議事堂の建設にあたって行われた発掘調査によって、ベトナム歴代王朝の壮大な遺構が日の目を見ることになります。
長らく軍の統治下にあったタンロンが、一般に開放されたのは遺跡の発見によるもの。現在も発掘調査が続き、観光できる世界遺産区域は端門から正北門まで。入場ゲートをくぐるとベトナム国旗がはためく塔のそばに建つのが南門である端門。楼上からは広大な宮城内を一望できます。皇帝の宮殿が建っていた中心部には基壇が残るのみですが、龍の階段が皇帝の権威を窺わせます。皇帝の側近が使用していたという後楼を経て正北門へ。外壁に残るフランス軍の砲弾の跡が生々しく、改めてベトナムの激動の歴史を感じさせます。
中国の支配を退け、ベトナムに長期的な統一政権を打ち立てた李朝が、中国支配時代の砦の跡に1010年、宮城を創建し都としたのがタンロン(昇龍の意)でした。以降、陳朝、胡朝、黎朝と王朝は交代するものの遷都は行われず、阮朝がフエに王宮の建設を開始する1805年までタンロンは都であり続けました。しかし、その後はインドシナ戦争やベトナム戦争の戦禍にさらされたタンロンの地。そして2002年、新国会議事堂の建設にあたって行われた発掘調査によって、ベトナム歴代王朝の壮大な遺構が日の目を見ることになります。
長らく軍の統治下にあったタンロンが、一般に開放されたのは遺跡の発見によるもの。現在も発掘調査が続き、観光できる世界遺産区域は端門から正北門まで。入場ゲートをくぐるとベトナム国旗がはためく塔のそばに建つのが南門である端門。楼上からは広大な宮城内を一望できます。皇帝の宮殿が建っていた中心部には基壇が残るのみですが、龍の階段が皇帝の権威を窺わせます。皇帝の側近が使用していたという後楼を経て正北門へ。外壁に残るフランス軍の砲弾の跡が生々しく、改めてベトナムの激動の歴史を感じさせます。