旅に役立つ情報満載マラッカ観光ガイド

水上モスク水上モスク
オランダ広場オランダ広場

マレーシアの歴史と文化が色濃く残るマラッカ。歴史的な建造物が立ち並び、オランダ広場やセントポール教会などまるで絵画のような街並みが広がります。セントポールの丘からはマラッカ海峡を一望することもできます。そんなマラッカ観光のおすすめスポットやグルメを紹介します。

マラッカ観光マップ

Map

マラッカのおすすめ観光スポット

Sightseeing Spot
  • マラッカ オランダ広場 キリスト教会

    オランダ広場

    都市全体がユネスコ世界文化遺産に指定されているマラッカの入り口となる広場。オランダ統治時代に建設され、サーモンピンクが特徴的なレンガ造りの建築物が残り、緑との見事な融合が訪れる人を感動させます。広場にはマラッカ・キリスト教会やスタダイス(旧総督邸)、ユース・アート・ミュージアム、ビクトリア噴水などオランダを思わせる建築物が並び、観光客の絶好の撮影スポット。中央に立つ時計台は1982年までイギリス製のものが用いられましたが、その年に行われた改修工事の際に日本のセイコーが寄付したものに変えられています。広場には華やかな装飾を施したトライショー(大きな三輪車)が客待ちしており、走行しながら大きな音楽を鳴らす姿は圧巻。夜にはゴージャスにデコレーションされ、明るいネオンが道行く人々の目を惹きます。

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  • ムラカ・キリスト教会

    ムラカ・キリスト教会

    オランダ統治100周年を記念して1753年に建築され、サーモンピンク色をしたレンガ造りの外観が美しい教会。建設当時はプロテスタント教会(オランダ改革派教会)でしたが、1824年にイギリスへと主権が変わった歴史から、現在はアングリカンチャーチ(イギリス教会)として使用されています。建設にはオランダやインドネシアから運んだ資材が用いられ、天井の梁は1本の木から切り出した木材を使用し、釘を使わない精巧な建築技術が見られます。オランダ統治時代に手彫りで仕上げた椅子が現在も使われており、その精巧な技術は現代人を驚かせるほど。床石の一部にはポルトガルから運んだ墓石が使用されたため、墓碑名の跡があちこちに残ります。マラッカの複雑な歴史が反映された教会である一方、建物の美しさは絶好の写真撮影スポットとして注目され、観光客からの人気を集めています。

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  • スタダイス 赤い広場

    スタダイス

    マラッカ旧市街地に立つ東アジア最古のオランダ建築を残す民族博物館です。オランダ統治時代の1650年代に旧オランダ総督邸として建設され、現在はイギリス統治時代や日本軍による占領を含め、マレーシアの歴史を学べる博物館として利用されています。建物の正面には日本語の解説もあり、スタダイスが建設された経緯や用途、変遷について詳しく学ぶことが可能。サーモンピンク色の外壁が可愛い印象を与える一方、建物には重みのある分厚いレンガが使用され、木で作られた美しい扉や梁には優れた建築技術が残ります。中庭にある白壁の建物には最古のオランダ式オーブンが残り、当時の人々の暮らしがよりリアルに想像できるでしょう。歴史の中で数々の国の支配下に置かれ、複雑な物語を紡いだマラッカの道のりを発信し、未来へ伝える役割を果たす重要な場所です。

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  • マラッカ セントポール教会

    セントポール教会

    日本に初めてキリスト教を伝えた伝道師、フランシスコ・ザビエルと縁深いカトリック教会。ポルトガルにより1521年に建設されましたが、後に統治したオランダやイギリスがプロテスタントを信仰していたため、セントポール教会は歴史の表舞台から消えることになりました。人の手が入らない時期が長いことから、現在の建物は古く朽ち果て、かろうじて外壁を残すのみです。しかし、支配する国により運命を変えたこの教会は、マラッカが辿った複雑な歴史を物語る遺構であり、マラッカの象徴ともいえるでしょう。ザビエルはこの地より日本・中国へ出発、鹿児島から日本へと上陸し、滞在した2年の間に500人を超える日本人の洗礼を行いました。ザビエルは1552年に中国広東で亡くなりましたが、遺体はマラッカのこの教会に運ばれ9カ月ほど安置されています。1953年にはザビエルの銅像が建てられ、現在も丘の上からマラッカを見守っています。

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  • サンチャゴ砦 2011

    サンチャゴ砦

    過去にマラッカを占領したポルトガルにより築かれ、敵からの防衛を目的に使用された砦です。1511年よりマラッカを統治したポルトガルは、南シナ海の海上交易を目的に敵対したオランダを牽制するため、この地の4カ所に砦を築きました。かつてのマラッカ海峡は砦の近くまで広がっており、砦はオランダ軍の上陸を監視する絶好の位置にあったことが分かります。現在はサンチャゴ砦を残すのみですが、当時に使用された大砲も残されており、大航海時代の面影を偲ぶ遺構として大切にされています。マラッカでも屈指の観光スポットである一方、市民たちが集う憩いの場としても利用され、観光客と地元民の交流が見られることもあります。砦の上にはセント・ポール丘が広がり、世界三大夕日と語られる美しい夕焼けが見られます。

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  • マラッカスルタンパレス

    マラッカスルタンパレス

    15世紀にこの地を治めたマラッカ王国の宮殿を、マレー王統記の記述に倣って復元した博物館。マラッカ王国はマレー半島とスマトラ島の一部を支配し、明やインドとの交易から東南アジアの貿易拠点として栄えました。後にポルトガルに占領され王宮は失われますが、マラッカスルタンパレスはマラッカ王国の宮殿を忠実に再現し、その貴重な歴史を後世に伝えています。当時と同じ材料と建築技術を用いた建物は、約74mの幅に3階建てで構成され、釘を1本も使用しない木造高床式建築です。内部には当時の交易品やマレーシアに伝わる民族衣装、当時の様子を再現した人形などが展示され、その数は約1300点にものぼります。かつてはセント・ポール丘の上にそびえた王宮ですが、現在はサンチャゴ砦で静かにマラッカの町を見守っています。

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  • 海の博物館

    海の博物館

    マラッカ川の河口から約500m遡った場所に浮かぶ木造船の形をした博物館。略奪品を積んだまま沈没したポルトガル船フロール・デ・ラマール号を復元しており、七つの時代を通して航海の歴史を伝えています。船は高さ約34m、長さ約36m、幅約8mの大きさを誇り、マラッカ海峡を行き来した船の雄々しさは圧巻。内部は三層に分かれ、当時に使用された船の模型や漁村生活の紹介、沈没船からの引き上げ品や航海に使用されたランタンの展示など、海にまつわる歴史を学べます。また、夜は美しくライトアップされ、フォトジェニックな空間としても人気です。入場の際に購入するチケットは、近隣にあるマレーシア海軍博物館と共通で使用できるため、ぜひ両方の博物館を訪れてみてください。

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  • チェンフンテン寺院

    チェンフンテン寺院

    マラッカの旧市街地・ハーモニーストリートに立つマレーシア最古の中国寺院です。16世紀中ごろ、明の時代にマラッカへ渡った指揮官・鄭和の功績を称えるため、中国南部の建築様式を用いて建立されました。使用された建材は中国から運ばれたものを使用し、建設に携わった職人も中国から招聘されています。風水の法則が取り入れられたことから、商売繁盛や富を招くといわれ、地元民には馴染み深いパワースポットです。屋根の装飾は陶器で作られ、内部の調度品は漆塗りが見られるなど、中国らしい豪華絢爛さが散りばめられた点も魅力。本堂の右奥にはトラの神が祀られており、悪いことを食べてくれるとの言い伝えから、ご利益を求めて多くの人が訪れます。

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  • マラッカ ジョンカーストリートの屋台

    ジョンカーストリート

    正式名称はジャラン・ハン・ジェバットで、ジョンカーストリートは地元民が親しみを込めて呼ぶ愛称です。通りにはレストランやカフェをはじめとする飲食店、観光客向けのお土産屋、アンティークショップなどが並び、昼夜問わず多くの人で賑わいます。週末に開催されるナイトマーケットの華やかさは良く知られ、煌びやかなイルミネーションに彩られた街並みや、ローカルフードや日用品がひしめく屋台が魅力。通りには地元民と観光客が集い、屋台を眺める人々の多さに進むことが困難なほど。東南アジアの下町らしい賑わいを体験でき、ただ散策するだけでも楽しいスポットです。

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  • チー・アンセストラル・マンション

    チー・アンセストラル・マンション

    シンガポールを拠点とするOCBC(オーバーシー・チャイニーズ)銀行創設者・チー氏が所有する美しい個人邸宅。億万長者通りで知られるジャラン・トゥン・タン・チェン・ロック(ヒーレン・ストリート)の中でも一際目立ち、白亜の壁に荘厳な門が特徴です。建物には中国やポルトガル、オランダ、イギリスの建築様式が反映され、マレー王国と明の交易や、統治よりこの地に残った多文化の影響が窺えます。私邸のため中に入ることはできませんが、この建物の美しさは道行く人の関心を惹き、富裕層のパワーを感じさせるでしょう。外観は誰でも見ることが可能ですが、現在も使用されている邸宅であることを念頭に、秩序を守った行動を心がけてください。近隣にはプラナカンの邸宅を利用した博物館ババ・ニョニャ・ヘリテージもあり、併せて豪華絢爛な建築物を見たい方におすすめです。

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  • カンポン・クリン・モスク

    カンポン・クリン・モスク

    1748年に建造されたこのモスクは、その建築様式と使用材料において他に類を見ない多文化の融合が見られます。外観はヒンドゥー教と中国様式を取り入れており、真っ白なミナレットは中国の仏塔を彷彿とさせます。一般的なモスクがドーム型であるのに対し、このモスクは中国の影響を受けて緑色の三角屋根を有しています。内部は植民地時代の影響を受けたビクトリア朝とポルトガルのタイルで装飾され、特に目を引くのは古いビクトリア朝のシャンデリアです。礼拝堂にはギリシャ風の柱が立ち、ヒンドゥー教と中国の影響を受けた木製の説教壇が配置されています。沐浴用のプールの両側にはムーア風の照明が設置されており、さまざまな文化が見事に調和しているこの美しいモスクは、一見の価値があります。

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  • 独立宣言記念館

    独立宣言記念館

    1891年、イギリス植民地時代に建てられたコロニアル建築物で、当初はイギリス人の社交クラブとして使用されていました。マレーシアは1511年のポルトガルの侵略から始まり、オランダ、イギリス、そして第2次世界大戦中に日本軍の占領を受け、再度イギリスの支配という約450年に及ぶ辛く長い歴史があります。1956年、初代首相トゥンク・アブドゥル・ラーマンはこの建物の前で、イギリスからの独立を発表し、翌年1957年にマラヤ連邦として最初の一歩を踏み出しました。しかし、やっと終わった植民地支配の次に待ち受けていたのは、民族紛争や共産圏との戦いでした。現在は歴史資料館として、マレーシアの歴史や独立運動に関する資料、古い紙幣、歴史的な写真が展示されています。

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  • マラッカ海峡モスク 夕景

    マラッカ海峡モスク

    ピンクモスクとも呼ばれるこのモスクは、回廊の床も柱も天井もピンクで染まり、何ともかわいらしい魅力に満ちています。ステンドグラスのアーチと幾何学模様の透かし彫りのアーチが迎え入れ、内部はブルーを基調とした絨毯と真っ白なドームが広がります。しかし、ここの魅力は建物だけではありません。かわいらしい外観とは裏腹に、夕暮れ時のマジックアワーに、赤く染まる海を背景に浮かぶ姿は、見る者の時間を忘れさせるほどの美しさです。夜になると、ステンドグラスから漏れる光や夜空にライトアップされた幻想的な光が、訪れる人々の心を掴んで離しません。その姿は神秘的でもあり、永遠に見続けていたくなるほどの絶景です。

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  • マラッカ川

    マラッカ川

    マラッカの中心部を流れる全長約50kmのマラッカ川沿いには、オランダの建築やゴシック式の教会、そしてマレー式の伝統家屋など、多様な文化の建築様式が並んでいます。この地域はマラッカの豊かな文化的多様性を表しており、特にポルトガル植民地時代に架けられたパサール・ブリッジの美しさは見事です。夜にはライトアップされた建物が水面に映り、幻想的な空間に包まれます。クルーズは約9kmを45分ほどかけて進み、オランダ風の建築、歴史的な商店街、マレーの村、礼拝所、博物館、川沿いのカフェなど、数々の名所を楽しめます。このクルーズではマラッカの歴史と文化を感じ、過去と現代が交差する不思議な感覚が味わえます。

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都市全体がユネスコ世界文化遺産に指定されているマラッカの入り口となる広場。オランダ統治時代に建設され、サーモンピンクが特徴的なレンガ造りの建築物が残り、緑との見事な融合が訪れる人を感動させます。広場にはマラッカ・キリスト教会やスタダイス(旧総督邸)、ユース・アート・ミュージアム、ビクトリア噴水などオランダを思わせる建築物が並び、観光客の絶好の撮影スポット。中央に立つ時計台は1982年までイギリス製のものが用いられましたが、その年に行われた改修工事の際に日本のセイコーが寄付したものに変えられています。広場には華やかな装飾を施したトライショー(大きな三輪車)が客待ちしており、走行しながら大きな音楽を鳴らす姿は圧巻。夜にはゴージャスにデコレーションされ、明るいネオンが道行く人々の目を惹きます。

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オランダ統治100周年を記念して1753年に建築され、サーモンピンク色をしたレンガ造りの外観が美しい教会。建設当時はプロテスタント教会(オランダ改革派教会)でしたが、1824年にイギリスへと主権が変わった歴史から、現在はアングリカンチャーチ(イギリス教会)として使用されています。建設にはオランダやインドネシアから運んだ資材が用いられ、天井の梁は1本の木から切り出した木材を使用し、釘を使わない精巧な建築技術が見られます。オランダ統治時代に手彫りで仕上げた椅子が現在も使われており、その精巧な技術は現代人を驚かせるほど。床石の一部にはポルトガルから運んだ墓石が使用されたため、墓碑名の跡があちこちに残ります。マラッカの複雑な歴史が反映された教会である一方、建物の美しさは絶好の写真撮影スポットとして注目され、観光客からの人気を集めています。

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マラッカ旧市街地に立つ東アジア最古のオランダ建築を残す民族博物館です。オランダ統治時代の1650年代に旧オランダ総督邸として建設され、現在はイギリス統治時代や日本軍による占領を含め、マレーシアの歴史を学べる博物館として利用されています。建物の正面には日本語の解説もあり、スタダイスが建設された経緯や用途、変遷について詳しく学ぶことが可能。サーモンピンク色の外壁が可愛い印象を与える一方、建物には重みのある分厚いレンガが使用され、木で作られた美しい扉や梁には優れた建築技術が残ります。中庭にある白壁の建物には最古のオランダ式オーブンが残り、当時の人々の暮らしがよりリアルに想像できるでしょう。歴史の中で数々の国の支配下に置かれ、複雑な物語を紡いだマラッカの道のりを発信し、未来へ伝える役割を果たす重要な場所です。

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日本に初めてキリスト教を伝えた伝道師、フランシスコ・ザビエルと縁深いカトリック教会。ポルトガルにより1521年に建設されましたが、後に統治したオランダやイギリスがプロテスタントを信仰していたため、セントポール教会は歴史の表舞台から消えることになりました。人の手が入らない時期が長いことから、現在の建物は古く朽ち果て、かろうじて外壁を残すのみです。しかし、支配する国により運命を変えたこの教会は、マラッカが辿った複雑な歴史を物語る遺構であり、マラッカの象徴ともいえるでしょう。ザビエルはこの地より日本・中国へ出発、鹿児島から日本へと上陸し、滞在した2年の間に500人を超える日本人の洗礼を行いました。ザビエルは1552年に中国広東で亡くなりましたが、遺体はマラッカのこの教会に運ばれ9カ月ほど安置されています。1953年にはザビエルの銅像が建てられ、現在も丘の上からマラッカを見守っています。

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過去にマラッカを占領したポルトガルにより築かれ、敵からの防衛を目的に使用された砦です。1511年よりマラッカを統治したポルトガルは、南シナ海の海上交易を目的に敵対したオランダを牽制するため、この地の4カ所に砦を築きました。かつてのマラッカ海峡は砦の近くまで広がっており、砦はオランダ軍の上陸を監視する絶好の位置にあったことが分かります。現在はサンチャゴ砦を残すのみですが、当時に使用された大砲も残されており、大航海時代の面影を偲ぶ遺構として大切にされています。マラッカでも屈指の観光スポットである一方、市民たちが集う憩いの場としても利用され、観光客と地元民の交流が見られることもあります。砦の上にはセント・ポール丘が広がり、世界三大夕日と語られる美しい夕焼けが見られます。

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15世紀にこの地を治めたマラッカ王国の宮殿を、マレー王統記の記述に倣って復元した博物館。マラッカ王国はマレー半島とスマトラ島の一部を支配し、明やインドとの交易から東南アジアの貿易拠点として栄えました。後にポルトガルに占領され王宮は失われますが、マラッカスルタンパレスはマラッカ王国の宮殿を忠実に再現し、その貴重な歴史を後世に伝えています。当時と同じ材料と建築技術を用いた建物は、約74mの幅に3階建てで構成され、釘を1本も使用しない木造高床式建築です。内部には当時の交易品やマレーシアに伝わる民族衣装、当時の様子を再現した人形などが展示され、その数は約1300点にものぼります。かつてはセント・ポール丘の上にそびえた王宮ですが、現在はサンチャゴ砦で静かにマラッカの町を見守っています。

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マラッカ川の河口から約500m遡った場所に浮かぶ木造船の形をした博物館。略奪品を積んだまま沈没したポルトガル船フロール・デ・ラマール号を復元しており、七つの時代を通して航海の歴史を伝えています。船は高さ約34m、長さ約36m、幅約8mの大きさを誇り、マラッカ海峡を行き来した船の雄々しさは圧巻。内部は三層に分かれ、当時に使用された船の模型や漁村生活の紹介、沈没船からの引き上げ品や航海に使用されたランタンの展示など、海にまつわる歴史を学べます。また、夜は美しくライトアップされ、フォトジェニックな空間としても人気です。入場の際に購入するチケットは、近隣にあるマレーシア海軍博物館と共通で使用できるため、ぜひ両方の博物館を訪れてみてください。

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マラッカの旧市街地・ハーモニーストリートに立つマレーシア最古の中国寺院です。16世紀中ごろ、明の時代にマラッカへ渡った指揮官・鄭和の功績を称えるため、中国南部の建築様式を用いて建立されました。使用された建材は中国から運ばれたものを使用し、建設に携わった職人も中国から招聘されています。風水の法則が取り入れられたことから、商売繁盛や富を招くといわれ、地元民には馴染み深いパワースポットです。屋根の装飾は陶器で作られ、内部の調度品は漆塗りが見られるなど、中国らしい豪華絢爛さが散りばめられた点も魅力。本堂の右奥にはトラの神が祀られており、悪いことを食べてくれるとの言い伝えから、ご利益を求めて多くの人が訪れます。

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正式名称はジャラン・ハン・ジェバットで、ジョンカーストリートは地元民が親しみを込めて呼ぶ愛称です。通りにはレストランやカフェをはじめとする飲食店、観光客向けのお土産屋、アンティークショップなどが並び、昼夜問わず多くの人で賑わいます。週末に開催されるナイトマーケットの華やかさは良く知られ、煌びやかなイルミネーションに彩られた街並みや、ローカルフードや日用品がひしめく屋台が魅力。通りには地元民と観光客が集い、屋台を眺める人々の多さに進むことが困難なほど。東南アジアの下町らしい賑わいを体験でき、ただ散策するだけでも楽しいスポットです。

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シンガポールを拠点とするOCBC(オーバーシー・チャイニーズ)銀行創設者・チー氏が所有する美しい個人邸宅。億万長者通りで知られるジャラン・トゥン・タン・チェン・ロック(ヒーレン・ストリート)の中でも一際目立ち、白亜の壁に荘厳な門が特徴です。建物には中国やポルトガル、オランダ、イギリスの建築様式が反映され、マレー王国と明の交易や、統治よりこの地に残った多文化の影響が窺えます。私邸のため中に入ることはできませんが、この建物の美しさは道行く人の関心を惹き、富裕層のパワーを感じさせるでしょう。外観は誰でも見ることが可能ですが、現在も使用されている邸宅であることを念頭に、秩序を守った行動を心がけてください。近隣にはプラナカンの邸宅を利用した博物館ババ・ニョニャ・ヘリテージもあり、併せて豪華絢爛な建築物を見たい方におすすめです。

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1748年に建造されたこのモスクは、その建築様式と使用材料において他に類を見ない多文化の融合が見られます。外観はヒンドゥー教と中国様式を取り入れており、真っ白なミナレットは中国の仏塔を彷彿とさせます。一般的なモスクがドーム型であるのに対し、このモスクは中国の影響を受けて緑色の三角屋根を有しています。内部は植民地時代の影響を受けたビクトリア朝とポルトガルのタイルで装飾され、特に目を引くのは古いビクトリア朝のシャンデリアです。礼拝堂にはギリシャ風の柱が立ち、ヒンドゥー教と中国の影響を受けた木製の説教壇が配置されています。沐浴用のプールの両側にはムーア風の照明が設置されており、さまざまな文化が見事に調和しているこの美しいモスクは、一見の価値があります。

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1891年、イギリス植民地時代に建てられたコロニアル建築物で、当初はイギリス人の社交クラブとして使用されていました。マレーシアは1511年のポルトガルの侵略から始まり、オランダ、イギリス、そして第2次世界大戦中に日本軍の占領を受け、再度イギリスの支配という約450年に及ぶ辛く長い歴史があります。1956年、初代首相トゥンク・アブドゥル・ラーマンはこの建物の前で、イギリスからの独立を発表し、翌年1957年にマラヤ連邦として最初の一歩を踏み出しました。しかし、やっと終わった植民地支配の次に待ち受けていたのは、民族紛争や共産圏との戦いでした。現在は歴史資料館として、マレーシアの歴史や独立運動に関する資料、古い紙幣、歴史的な写真が展示されています。

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ピンクモスクとも呼ばれるこのモスクは、回廊の床も柱も天井もピンクで染まり、何ともかわいらしい魅力に満ちています。ステンドグラスのアーチと幾何学模様の透かし彫りのアーチが迎え入れ、内部はブルーを基調とした絨毯と真っ白なドームが広がります。しかし、ここの魅力は建物だけではありません。かわいらしい外観とは裏腹に、夕暮れ時のマジックアワーに、赤く染まる海を背景に浮かぶ姿は、見る者の時間を忘れさせるほどの美しさです。夜になると、ステンドグラスから漏れる光や夜空にライトアップされた幻想的な光が、訪れる人々の心を掴んで離しません。その姿は神秘的でもあり、永遠に見続けていたくなるほどの絶景です。

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マラッカの中心部を流れる全長約50kmのマラッカ川沿いには、オランダの建築やゴシック式の教会、そしてマレー式の伝統家屋など、多様な文化の建築様式が並んでいます。この地域はマラッカの豊かな文化的多様性を表しており、特にポルトガル植民地時代に架けられたパサール・ブリッジの美しさは見事です。夜にはライトアップされた建物が水面に映り、幻想的な空間に包まれます。クルーズは約9kmを45分ほどかけて進み、オランダ風の建築、歴史的な商店街、マレーの村、礼拝所、博物館、川沿いのカフェなど、数々の名所を楽しめます。このクルーズではマラッカの歴史と文化を感じ、過去と現代が交差する不思議な感覚が味わえます。

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ジョホール動物園

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1928年開園の歴史ある動物園で絶滅危惧種を含む100種以上を飼育。ラクダの餌やりや、乗馬体験もできます。

アクセス
JBセントラル駅からタクシーで約11分・マラッカ中心部からは車で約2時間40分
バトゥー・パハト

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20世紀初頭、鉱山開発等で多くの日本人が居住した街。詩人・金子光晴が滞在した旧日本人クラブの建物などが有名です。

アクセス
ジョホールバル中心部から車で約1時間50分・マラッカ中心部からは車で約2時間5分
デサルコースト

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ジョホール州東海岸にあるビーチ。ラグジュアリーなホテル、ウォーターパーク、ゴルフコースが揃う一大リゾートです。

アクセス
シンガポールのタナメラ港から直通フェリーで約1時間30分

マラッカのおすすめ情報

Information

グルメ

パイティー

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米粉を揚げて作ったカップ状の生地に甘辛く煮たカブや錦糸卵、フライドオニオンなどを詰めたマレーシアでは人気の前菜。

オタオタ

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スパイスとココナッツミルクを練り込んだ魚のすり身をバナナの葉で包んで蒸し焼きにした、屋台の定番料理。

ニョニャラクサ

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マラッカ版のラクサ。エビや鶏からとったダシにスパイスとココナッツミルクを加えたマイルドなスープと卵麺が特徴。

アヤム・ブアクルア

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鶏肉のブラックナッツ煮込み。ナッツの中にエビや香辛料とナッツの実を混ぜたタネを入れており、手間のかかる一品です。

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マラッカの現地情報ブログ

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マレーシア観光(マラッカ編)

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貿易黄金時代で栄えたマラッカ、さて、ここで世界航海一周した人は本当は誰だったのか?

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