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七里ヶ浜
神奈川県鎌倉市にある七里ヶ浜は、小説の舞台になったことでも知られる全長約4kmの海岸です。「日本の渚百選」にも選ばれているだけあり、その景観はとても美しいものがあります。相模湾に面した海岸からは江ノ島の姿はもちろんのこと、よく晴れた日には富士山の姿を眺めることも可能。潮騒の音ややわらかな砂浜は、訪れる者の心身を癒し、何もせず海を見ているだけでリフレッシュできる場所でもあります。周辺には、おしゃれなカフェやレストランも多く、1日のんびり過ごしたい時のお出かけ場所としても最適です。ウインドサーフィンなどマリンスポーツも盛んで、休日ともなると海を楽しみに多くの人々が集まってきます。
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鎌倉大仏
鎌倉のシンボル的存在としても知られる高徳院の本尊「銅造阿弥陀如来坐像(どうぞうあみだにょらいざぞう)」。鎌倉大仏の名で親しまれる国宝の大仏です。高さ約11m、重量約121トンの仏像は、奈良の大仏には及ばないものの、なかなかの迫力があります。1252年に造立されてから現在までの間、災害で何度も倒壊しましたが、その度に再建され、現在の「露坐の大仏」へとなりました。大仏の胎内には入ることも可能。表から見る大仏とはまた違った姿を鑑賞できます。鎌倉大仏の周囲には、かつてこの大仏を守っていた大仏殿の土台となった大きな石や、未完のハスの花びらなどもあり、見どころが豊富。参拝と合わせて歴史を顧みることのできる場所です。
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鶴岡八幡宮
鎌倉駅から続く参道の先にある鶴岡八幡宮は、鎌倉のパワースポットとしても知られる人気の神社です。800年以上の歴史を誇り、きらびやかな社殿は国の重要文化財指定の希少な建物。鎌倉の歴史を語る上でも欠かせない重要な存在でもあります。鶴ヶ丘八幡宮の境内には、さまざまな神様を祀るお社が建立されており、勝負運、商売繁盛、縁結び、安産、芸事上達と、それぞれにご利益が異なります。また、鶴岡八幡宮のシンボルである鳩をモチーフにしたお守りやご朱印帳も人気で、参拝に訪れた方の多くが記念にと購入する姿も。敷地内には鎌倉国宝館や鎌倉文華館・鶴岡ミュージアムなどもあり、見どころが豊富な所も多くの人に人気の秘密でもあります。
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小町通り
小町通りとは、鎌倉駅の東口から鶴岡八幡宮までの間を結ぶ商店街で、約250店以上もの店舗が軒を連ねる鎌倉観光の定番スポットでもあります。かつてはこの一帯に住む人々の日常を支える商店街でしたが、現在では土産物屋から、洋服・雑貨店、カフェなど多様な店舗が揃い、常時多くの人で賑わっています。通りの先にある鶴岡八幡宮に向かう途中に、小町通りを散策する方も多く参道的な役割も果たしています。長さ約400m程の小さな通りですが、話題のスイーツや鎌倉・湘南の地場産品を使ったグルメなどが味わえるとしてメディアでも多数取り上げられてきました。新しい店も年々オープンしており、これからの発展に益々期待が寄せられるエリアでもあります。
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長谷寺
長谷寺は「長谷観音」の名で親しまれる、景観の美しい鎌倉の寺院です。毎月のように何らか花が旬を迎え、絶えることがないことから「花の寺」と呼ばれることも。本尊は高さ約9.18mの十一面の観音菩薩で、木彫りの仏としては、日本最大級の大きさを誇ります。観音山の麓から中腹に向かって登るように広がる散策路、庭、見晴台は最高のビュースポットで、「鎌倉の西方極楽浄土」の呼び名に相応しい、素晴らしい眺望を見せてくれます。お天気の良い日には、鎌倉の海や街並みが見渡せる他、遠くには、相模湾を望めることも。また、梅雨に見頃を迎える2500株のアジサイは心が洗われる美しさで、参拝に訪れた人々に癒しのひと時を与えています。
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由比ヶ浜
由比ヶ浜は、鎌倉市にある海水浴場として人気の砂浜で、海水浴シーズンになると、県内外から多くの人が海を楽しみに訪れます。約1kmにおよぶ砂浜は柔らかく、遠浅で波は穏やかと、過ごしやすいビーチ環境が特徴で、かつては「海の銀座」とも呼ばれるほど海水浴客が集中した時期もありました。サーフィンのメッカとしても有名で、暖かくなるとサーフィンを楽しむ人の姿がよく見られます。雰囲気がよく眺望も良いことから、映画やドラマのロケ地として選ばれることも多い場所です。また、由比ヶ浜周辺には海を見ながらくつろげる、おしゃれなカフェやレストランが多いのも特徴。休日のドライブやデートに最適の場所として、多くの人から好まれています。
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極楽寺
極楽寺は、鎌倉では珍しい真言律宗の寺院です。鎌倉時代の中期・正元元年に、北条重時が鎌倉西部にあった寺院を、現在の地に移したことが始まりとされています。後に忍性が実質的な開祖として迎えられたことで、極楽寺は庶民の救済の地として発展していきました。病者や貧民のために奔走したとされる忍性は、この場所に施薬院、療病院、薬湯寮などを作った他、極楽寺周辺の土地の整備にも貢献しました。極楽寺には今もなお当時の名残が残されており、境内には、忍性が薬を作るのに使ったという薬鉢などが置かれています。絢爛豪華な社はなく質素ではありますが、人民のために闘った忍性の人柄が感じられるような、慎ましやかな雰囲気の漂う寺院です。
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材木座
観光地として名高い鎌倉中心部の賑やかな雰囲気とはまた違い、ゆるりとした下町風情が漂う町として知られる材木座。昭和の時代から残る商店街や古民家が現在も数多く残り、暮らしの息づかいがすぐそこに聞こえてくるような、アットホームな場所でもあります。町を抜けた先には穏やな材木座海岸が広がり、美しい風景と潮騒の音に癒されます。昔ながらの商店が残る一方、おしゃれなカフェやレストラン、サーフショップなど新しい息吹を吹き込むお店も点在し、新旧両方の良さを味わえる点も材木座エリアの大きな魅力でもあります。ゆったりとした時間を過ごしたい時に最適の場所として、1年を通し多くの人が訪れる鎌倉の穴場的な観光スポットです。
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鎌倉七切通し(七口)
かつての鎌倉は三方を山に囲まれ、人や物資の往来に不便な場所であったとため、山の稜線を切り開き、行き来しやすいよう道を作ってきた言われています。この時に切り開いた道を「切通(きりどおし)」と呼んでいました。この切通のうち主なものを「鎌倉七切通し(かまくらななきりどおし)」と呼び、「名越切通」「朝夷奈切通」「巨福呂坂」「亀ヶ谷坂」「仮粧坂」「大仏切通」「極楽寺切通」の7つがあります。切通の中には、急坂になっているものや、岩場の険しい道になっているものなど、通行にいささか苦労するような道が多いのも特徴です。一部は国指定の史跡として登録され、現在ではハイキングコースなどとして利用されています。
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浄妙寺
鎌倉の静かな山あいにある浄明寺。足利家とゆかりが深く、室町時代には鎌倉公方の菩提寺としても栄えた由緒ある寺院です。創建は鎌倉時代の初期、文治4年(1188年)。足利義兼により建てられました。鎌倉五山・第五位の格式で、かつては多数の伽藍や塔頭を持つ大寺院として栄えましたが、度重なる難で損害を受け、現在は総門・本堂・客殿・庫裏のみ残されています。どっしりと広がる銅葺き屋根の本堂や、国の重要文化財に指定されている本尊「木造退耕禅師坐像」は必見。境内は梅、つばき、ぼたん、などの名所で、美しい日本庭園と合わせて、景観を楽しめる寺院としても人気のある場所です。境内奥の石釜ガーデンテラスという洋館レストランも見逃せません。
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荏柄天神社
日本三天神のひとつとして知られる荏柄天神社は、学問の神としても親しまれる名社です。創建は平安時代の中後期、1104年(長治元年)。この年の8月25日空が突如暗くなり、雷雨の中、黒い束帯姿の天神画像が舞い降りてきたのだそうです。この出来事に驚いた里人が神験をおそれ社殿を建てたのが、荏柄天神社の始まりとされています。この天神画像に描かれていたのが菅原道真公であったと言われたため、荏柄天神社では菅原道真公を天神様として祀るようになりました。以来、学問に優れた菅原道真公にあやかり、学問成就や仕事運、出世運などのご利益があるとされ、日々多くの方参拝に訪れています。境内にあるかっぱ筆塚や絵筆塚、大イチョウなどの見どころも必見です。
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鎌倉宮
鎌倉宮は、鎌倉幕府の討幕に貢献した護良親王の功績を讃え、明治天皇の勅命によって建てられた神社です。幕末の混乱を乗り越え、明治維新を成し遂げた明治天皇は、鎌倉幕府の討幕に尽力しながらもわずか28歳の若さで非業の死を遂げた護良親王を思い慕い、護良親王が幽閉された土牢のあるこの地に、現在の鎌倉宮を創建しました。境内には、護良親王を祀る本堂の他、ゆかりの品を展示する宝物殿、土牢となった洞窟、護良親王の身代わりとなった村上義光の像などがあり、鎌倉宮を創建した明治天皇の想いを感じられることでしょう。また、鎌倉宮でしか引けない「歌みくじ」や厄を払うことができる「厄割り石」などもあり、参拝に訪れた方の楽しみともなっています。
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瑞泉寺
鎌倉市二階堂、紅葉ヶ谷に位置する瑞泉寺は、美しい風景と庭園が望めることでも知られる臨済宗円覚寺派の寺院です。創建は鎌倉時代の末期、1327年(嘉暦2年)で、夢窓国師を開山として迎え二階堂道蘊が建てたとされています。寺を囲む山々の紅葉が錦屏風のように美しいことから、錦屏山(きんぺいざん)という山号が与えられたという名の由来から伝わるように、瑞泉寺および瑞泉寺のある場所は、景観の素晴らしい所でもあります。開山の夢窓国師は、作庭師としての才も素晴らしく、瑞泉寺庭園は、国の特別名勝・名勝に指定されるなど、現在でも高い評価を受けています。瑞泉寺庭園の裏山ある夢窓国師が建てた小屋「徧界一覧亭」からの眺望も必見です。
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覚園寺
覚園寺の起源は1218年、鎌倉幕府2代執権・北条義時公が大倉薬師堂として現在の地にお堂を建てたことに始まっています。1296年に入り、9代執権・北条貞時公が元寇の再来がないようにと願い、智海心慧律師を開山に迎え、真言・天台・禅・浄土の4宗が学べる道場・覚園寺として整備しました。境内には、本堂薬師堂や地蔵堂、旧大楽寺から移築された愛染堂、などがある他、鎌倉時代の武士や有力者の眠る墓・やぐらや、江戸時代の鎌倉農家・旧内海家などがあり、往年の人々の暮らしや思想を感じることができます。静かで美しい庭園には、梅や紫陽花やカエデの木が多数植えられており、見頃を迎える時期は素晴らしい風景を織り成します。
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来迎寺
鎌倉市の材木座にある来迎寺は、1194年(建久5年)に源頼朝によって創建された寺院です。鎌倉幕府の礎ともなった平安時代末期の武将・三浦義明を弔うために建てたとされています。創建当初は、当時この一帯で呼ばれていた地名からとった「能蔵寺」としていましたが、源頼朝の亡き後、音阿上人が時宗に改宗し、名称も「来迎寺」と改めました。境内は本堂の他、三浦義明と孫の多々良重春、三浦一族家臣たちの墓がある小さな寺院ですが、厳かな雰囲気が漂い、心落ち着く場所となっています。春には境内に黄色いミモザの花が咲き、夏から秋口には赤やピンクのサルスベリが可憐に咲き乱れるなど、知る人ぞ知る花の名所として親しまれています。
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宝戒寺
宝戒寺は、悲しい末路を迎えた鎌倉幕府最後の執権・北条高時と一族郎党の慰霊のために建てられたという寺院です。創建は、南北朝時代初頭の建武2年とされていますが、それから17年後に作成された文書によると、南北朝時代の後期、1354年(文和3年)にようやく寺院として整ったの記録があります。本尊は、「子育て経読み延命地蔵」で、安産、無病息災などにご利益がある他、17体の神仏が祀られているため、幅広い望みに効く寺としても知られています。また、境内には様々な植物が植えられ、季節ごとに美しい花が咲き誇ることから「花の名所」としても有名です。特に秋のお彼岸の頃に咲く「白萩」は見事な景色を見せることから「萩の寺」の名でも親しまれています。
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光明寺
鎌倉市材木座にある光明寺は、鎌倉最大級の山門を構える、浄土宗の大本山となる寺院です。始まりとなった寺院は、鎌倉幕府4代執権・北条経時が、現在の鎌倉市佐助に然阿良忠を開山に迎え建てた蓮華寺で、鎌倉時代中期にあたる1243年(寛元元年)に、現在の地に移築、光明寺と改めたのが、起源とされています。以来、光明寺は、鎌倉幕府歴代執権の帰依を受け、関東総本山となる寺院へと発展していきました。室町時代の後期、1495年(明応4年)には、後土御門天皇の命により、国家鎮護を祈願する勅願寺に指定されています。また、光明寺は、毎年10月の中旬に行われる「お十夜」と呼ばれる念仏法要が有名で、多くの参拝者が集う恒例の一大行事となっています。
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妙本寺
鎌倉駅から10分ほどに位置する妙本寺は、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝に仕えた比企一族ゆかりの寺院です。源家と深い関係にあった比企一族は、源頼朝の妻・北条政子をはじめとする北条家とは対立する関係に発展。次期将軍の座を狙う両家の争いは激しさを増し、戦いの末、比企一族は凄惨な最後を迎えます。ひとり生き残った比企能員の末子・能本が、父と母の菩提を弔うために、日蓮の協力を得て、1234年(文歴元年)に建立したのが、妙本寺です。比企一族御霊を今日まで鎮めてきた妙本寺ですが、悲痛な歴史を背景に持っているとは思えないほど、境内は清らかな空気と静寂に包まれ、参拝者に多くの癒しを与え続けています。
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稲村ケ崎(公園)
3地区に分かれている鎌倉海浜公園の内のひとつ、稲村ヶ崎地区公園は、展望台や史跡のある景観が美しい公園です。展望台からは、稲村ヶ崎の海岸線が一望できる他、晴れた日には、海の向こうに七里ヶ浜、江ノ島などを見ることができ、遠くには伊豆大島や富士山の姿を望むこともできます。その眺望の美しさは「かながわ景勝50選」にも選ばれるほど。特に日が沈む時間は絶景で、夕日の名所としても知られているため、多くの人が絶景を楽しみに集まってきます。また、稲村ヶ崎は、新田義貞が鎌倉攻めを行う際の突破口となった場所という話は有名ですが、公園の中程には、稲村ヶ崎が歴史を語る上でも欠かせない地であることを示すかのように、新田義貞の碑が建立されています。
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大船観音寺
大船駅周辺に来ると見える白く巨大な像、これはすぐ近くにある大船観音寺に建立された、大船観音像です。大船観音寺は、この観音像を守り管理運営する曹洞宗の寺院です。大船観音寺および大船全体のシンボル的な存在でもある、大船観音像は、高さは約25m上半身だけの半身像です。国内の参拝者だけでなく、遠くは東南アジアからも参拝に訪れる方がいます。大船観音像の建設にあたっては、発起から完成までスムーズに進んだ訳ではありませんでした。1929年(昭和4年)に工事に着工したものの、戦況の悪化により工事が中断。以降、23年間に渡り手付かずのままとなった時期があったのです。ようやく大船観音像が完成したのは、発起から33年後のことでした。
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佐助稲荷神社
鎌倉市にある佐助稲荷神社は、源頼朝にゆかりの深い神社です。ある日、伊豆に配流されていた源頼朝の夢枕に、「かくれ里の稲荷」と名乗る老翁が立ち、平家討伐の時期を告げたのだそうです。これを機に源頼朝は平家を滅ぼし、将軍の座にまで登り詰めました。この出来事に深い感謝を持った源頼朝は、家臣の畠山重忠に命じ「かくれ里の祠」を探し出し、稲荷神社として再建させたというのが、佐助稲荷神社のはじまりとして語られています。境内には、今でも祠が残り、謂れのある白狐とともに祀られています。源頼朝を歴史的快挙に導いたという言い伝えから、佐助稲荷神社は別名「出世稲荷」とも呼ばれ、受験生や就活生、起業家などが多く参拝に訪れる場所ともなっています。
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旧華頂宮邸
旧華頂宮邸は、伏見宮家の出身で、貴族院議員や海軍大尉を務めた華頂博信が建て、数年間居住した邸宅です。報国寺の近くにあり、ハーフティンバー様式という古典的な建築技法を使った希少な建築物でもあります。木造三階建てで、戦前からある鎌倉の洋館としては鎌倉文学館に次ぐ大きなもの。旧篠田邸と並び、鎌倉のハーフティンバー様式を代表する洋館としても有名です。ハーフティンバー様式とは、15世紀から17世紀頃に北方ヨーロッパ地方でよく使用されていた建築様式で、使用木材が外部に見える独特な外観が特徴です。旧華頂宮邸の庭園は休園日を除いて通年一般公開していますが、主屋の内部が見られるのは、春と秋に行われる各4日間の公開日のみとなっています。
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古我邸
古我邸は、三菱合資会社の専務理事を務めていた荘清次郎の別荘として、1916年(大正5年)に建築されました。設計は建築家・桜井小太郎が行い、建築が完成するまでには約15年もの歳月がかかったとされています。洋館は、アメリカの建築技法をも取り入れた山小屋風なデザイン。シンプルでありながらも、凛とした風格を感じさせる佇まいとなっています。1923(大正12)年の関東大震災では、ほとんどの建物が倒壊する中、古我邸だけはしっかり残っていたという話は有名です。1937(昭和12)年に、日本土地建物株式会社を経営していた古我貞周が建物を取得。以降、古我邸と呼ばれるようになり、現在はフレンチレストランとして多くの人々から親しまれています。
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明月院
北鎌倉の山あいにある明月院は、創建 1160年(永暦元年)平安時代の後期に建てられた臨済宗の寺院です。境内には約2,500株ものアジサイが植えられており、「アジサイ寺」の名でも知られるアジサイの名所です。花が見頃を迎える6月中旬〜7月上旬頃は、境内一面が淡い紫で染まり、幻想的な風景に。その美しい景観に親しみを込め「明月院ブルー」とも呼ばれています。また、明月院にはもうひとつ「悟りの窓」と呼ばれる名所があります。本堂に設けられた円窓で、窓からは四季折々に美しい風景を織りなす明月院の庭園を望むことができるのです。明月院には他にも、歴史的価値の高いものが数多く残されていることから、境内全域が国の史跡として指定されています。
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建長寺
建長寺は、創建1253年(建長5年)鎌倉時代の中期に、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼によって建立された臨済宗の寺院です。開山は蘭渓道隆で、33歳の時に中国から来日した禅宗の僧でした。建長寺のある場所は、鎌倉の北の出入り口に当たり、鎌倉警護の要ともなる場所だったそうです。この地に北条時頼が寺院を建立したのも、必然のことだったのでしょう。建長寺が建立される前は、「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場だったそうで、地蔵菩薩を本尊とした伽羅陀山心平寺が建立されていたと言われています。そのため建長寺は、禅宗の一般的な本尊・釈迦如来ではなく、当時の地蔵菩薩を本尊としており、禅宗の寺院の中でも珍しい寺院として位置付けられています。
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浄智寺
浄智寺は、北鎌倉の山ノ内にある禅宗の寺院です。鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の三男・宗正が若くして亡くなった折、菩提を弔うため、1281年(弘安4年)に宗正の子・北条師時により建立されたとなっていますが、当時師時はまだ8歳と子どもであったため、実際には宗正の妻と兄の時宗により創建されたと言われています。開山には、南州宏海が招かれましたが、南州宏海は自身が尊敬する宋出身の高僧と導師を開山に迎え、自身は準開山として実質の仏事にあたりました。最盛期には、500人近くもの僧が在籍していたといいます。趣ある境内は国の史跡にも指定されている希少な建築物。苔むした庭園や竹林も美しく、心静かなひと時を過ごせる場所です。
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長寿寺
北鎌倉の山ノ内にある長寿寺は、足利尊氏にゆかりのある臨済宗建長寺派の寺院です。創建は、南北朝時代の初頭1336年(建武3年)で、足利尊氏の菩提を弔うため、邸宅があった場所に建立されたと言われています。開基は、足利尊氏の四男・足利基氏と伝えられています。境内には、足利尊氏の遺髪を埋めたとされる五輪塔が今でも残り、歴史を物語っています。庭園は綺麗に整えられ、とても静か。心が落ち着く、癒されると定評のある場所です。縁側に座って眺めることもできるとあって、鎌倉散策の合間に立ち寄る人も多くいます。しかし、季節・曜日限定の拝観となっており、常時参拝できる寺院ではないため、事前に確認してからの来訪が望ましいでしょう。
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